赤穂浪士、赤穂義士、忠臣蔵などの名称で親しまれている、臣下が主君の仇を討つ物語。1999年のNHKの日曜大河ドラマでも「元禄繚乱」の名で、架空の人物の登場や新解釈などにも彩られた形で放映されていました。

 (実は私、今までも断片的に忠臣蔵は見て来たんですが、今回のこれは一話も逃さずしっかり身を入れて見終りました。主役の勘九郎氏が同い年で、実在の大石内蔵助氏もまさに私と同じ歳で討入りを果たした、という事も、それだけ視聴に集中できた、という理由の一つに上げられるかもしれません。)

 閑話休題。
 この忠臣蔵、元々は元禄14年(1701)3月、江戸城内松の廊下において主君が討ちそこなった仇を、約1年と9ヶ月後の元禄15年(1702)12月に臣下が徒党を組んで討ち取った、という実際にあった事件をヒントに、寛延元年(1748)、三世竹田出雲・並木千柳・三好松洛の合作になる人形浄瑠璃の台本「仮名手本忠臣蔵」として発表したもの。

 これが皮切りとなり、虚構の世界と現実の事件とを混沌とさせながら過去幾度となく芝居・映画・ドラマ・小説と姿を変えてきたもので、日本で一番有名な物語だといっても過言ではないと思います。

 なぜ忠臣蔵の物語が日本人の心をいまだに揺さぶり続けているか…などという分析は余人に任せるとして、ここでは義士やそれに絡む人々の紳士録を掲載してみましょう。

 そもそもは登場人物が多過ぎて(なんせ討ち入った人だけでも47人居るし(^^;)、細切れに聞いても頭の中が訳ワカメ状態になってしまい、堀部安兵衛や大石主税などの超有名人ならともかく、全部の名前はとても覚えきれないし、はて、よく名前を聞く萱野三平は四十七士の中に入ってたっけ? 片岡源五右衛門はどういう経緯で義士になったっけ? などという曖昧な記憶を整理するためにこしらえました。

 多分、探せばこのWEBの大海の中には似たようなリストがごまんとあると思いますが、私なりのコメントやまとめ方ができる点では自作にまさるものはありませんね。


 …で、この名簿が何の役に立つのかというと…ん〜と、ん〜と(^^;。まぁ、自己満足の最たるものになりますが、まぁそこはそれ、一見無駄とみえてその実も結局何の役にも立たないことに頑張るってぇのも、精神衛生上はよろしいんじゃぁないでしょうか(^^;。


いちばん上ひとつ上