假名手本忠臣藏

參照:新潮社刊、新潮日本古典集成「淨瑠璃集」

第一   鶴岡の饗應(兜改め)

 嘉肴ありといへども 食せざればその味はひを知らずとは。國治まつてよき武士の 忠も武勇も隱るるに。たとへば星の晝見えず夜は亂れてあらはるる。ためしをここに假名書きの(ヲロシ)⌒\ 太平の代の。まつりごと。
 ころは暦應元年二月下旬。足利將軍尊氏公 新田義貞を討ち滅ぼし。京都に御所を構へ 徳風四方にあまねく。萬民草のごとくにて なびき。したがふ御威勢。
 國に羽をのす鶴岡八幡宮 御造營成就し。御代參として 御舍弟足利左兵衞督直義公。鎌倉に下着なりければ。在鎌倉の執事 高武藏守 師直。御膝元に人を見下ろす權柄眼。御馳走の役人は。桃井播磨守が弟 若狹之助安近。伯州の城主 鹽谷判官高定。馬場先に幕うち回し 威儀を正して相詰むる。
 直義仰せ出さるるは「いかに師直。この唐櫃に入れ置きしは。兄尊氏に滅ぼされし新田義貞。後醍醐の天皇よりたまはつて着せし兜。敵ながらも義貞は 清和源氏の嫡流。着捨ての兜といひながら。そのままにもうち置かれず。當社の御藏に納める條 その心得あるべしとの嚴命なり」とのたまへば。武藏守うけたまはり。「これは思ひもよらざる御事。新田が清和の裔なりとて 着せし兜を尊敬せば。御旗下の大小名 清和源氏はいくらもある。奉納の義しかるべからず候」と。遠慮なく言上す。「イヤ左樣にては候ふまじ。この若狹之助が存ずるは。これはまつたく尊氏公の御計略。新田に徒黨の討ち殘らされ 御仁徳を感心し。攻めずして降參さする御手立てと存じたてまつれば。無用との御評議卒爾なり」と。いはせも果てず。「イヤア師直に向つて 卒爾とは出過ぎたり。義貞討死したる時は大わらは。死骸のそばに落ち散つたる 兜の數は四十七。どれがどうとも見知らぬ兜。さうであらうと思ふのを。奉納したそのあとで さうでなければ大きな恥。生若輩ななりをして お尋ねもなき評議。すつこんでおゐやれ」と 御前よきまま出るままに。杭とも思はぬ詞の大槌。打ち込まれてせき立つ色目 鹽谷引つ取つて。「コハ御もつともなる御評議ながら。桃井殿の申さるるも をさまる代の軍法。これもつて捨てられず 雙方まつたき直義公の。御賢慮仰ぎたてまつる」と。申し上ぐれば御機嫌あり。「ホホさいはんと思ひしゆゑ。所存あつて 鹽谷が婦妻を召し連れよといひつけし。これへ招け」とありければ。「はつ」と答へのほどもなく。馬場の白砂素足にて 裾で庭掃く襠は。神の御前の玉箒 玉もあざむく薄化粧。鹽谷が妻のかほよ御前。はるかさがつてかしこまる。
 をなご好きの師直そのまま聲かけ。「鹽谷殿の御内室かほよ殿。最前よりさぞ待ちどほ 御大儀\/。御前のお召し近う\/」と取り持ち顏。直義御覽じ。「召し出だすことほかならず。去んじ元弘の亂れに。後醍醐帝都にて召されし兜を。義貞にたまはつたれば。最期の時に着つらんこと 疑ひはなけれども。その兜を誰あつて見知る人ほかになし。そのころは鹽谷が妻。十二の内侍のその内にて。兵庫司の女官なりと聞きおよぶ。さぞ見知りあらんず。覺えあらば兜の本阿彌。目利き\/」とをなごには。嚴命さへもやはらかに。お受け申すもまたなよやか。「冥加にあまる君の仰せ。それこそはわたくしが。明け暮れ手馴れし御着の兜。義貞穀拜領にて。蘭著待といふ名香を添へてたまはる。御取次ぎはすなはちかほよ。そのときの勅答には。人は一代名は末代。すは討死せん時。この蘭奢待を思ふまま。内兜に焚きしめ着るならば。鬢の髮に香を留めて。名香かをる首取りしと いふ者あらば。義貞が最期とおぼし召されよとの。詞はよもやちがふまじ」と申し上げたる口元に。下心ある師直は。小鼻いからし聞きゐたる。
 直義くはしく聞し召し。「オオつまびらかなるかほよが返答。さあらんと思ひしゆゑ。落ち散つたる兜四十七。この唐櫃に入れ置いたり。見分けさせよ」と 御諚意の下侍。かがむる腰の海老錠を。開くる問おそしと取り出すを。おめずおくせず立ち寄つて。見れば所も。名にしおふ。鎌倉山の星兜。とつぱい頭獅子頭。さて指物は家々の。流儀\/によるぞかし。
 あるいは。直平筋兜。錣のなきは。弓のため。そのぬし\/の好みとて。數々多きその中にも。五枚兜の龍頭 これぞといはぬそのうちに。ぱつとかをりし名香は。かほよが馴れし「義貞の兜にて御座候」と差し出せば。
 左樣ならめと一決し「鹽谷桃井兩人は。寶藏に納むべし こなたへ來れ」と御座を立ち。かほよにお暇たまはりて 段葛を過ぎたまへば。鹽谷桃井兩人も(ヲクリ)うち連れ。⌒\てこそ入りにける。
 あとにかほよはつぎほなく。「師直樣は今しばし。御苦勞ながらお役目を。お仕舞ひあつてお靜かに。お暇の出たこのかほよ。長居は恐れ おさらば」と。立ち上がる袖すり寄つて じつと控へ。「コレまあお待ち 待ちたまへ。今日の御用しまひ次第。そこもとへ推參して お目にかける物がある。幸ひのよいところ召し出だされた。直義公はわがための結ぶの神。御存じのごとくわれら歌道に心を寄せ。吉田の兼好を師範と頼み 日々の状通。そこもとへ屆けくれよと 問ひ合せのこの書状。いかにもとのお返事は。口上でも苦しうない」と。袂から袂へ入るる結び文。顏に似合はぬ「樣參る 武藏鐙」と書いたるを。見るよりはつと思へども。はしたなう恥ぢしめては かへつて夫の名の出ること。持ち歸つて夫に見せうか。いや\/それでは鹽谷殿。憎しと思ふ心から 怪我過ちにもならうかと。ものをもいはず投げ返す。人に。見せじと手に取り上げ。「戻すさへ手に觸れたりと思ふにぞ。わが文ながら捨てもおかれず。くどうはいはぬ。よい返事聞くまでは。口説いて\/口説きぬく。天下を立てうと伏せうとも ままな師直。鹽谷を生けうと殺さうとも。かほよの心たつた一つ。なんとさうではあるまいか」と。聞くにかほよが返答も。なみだぐみたるばかりなり。
 折から來合す若狹之助。例の非道と見てとる氣轉。「かほよ殿まだ退出なされぬか。お暇出でて隙どるは。かへつて上への恐れはやお歸り」と追つ立つれば。
 きやつさては氣取りしと。弱味をくはぬ高師直。「ヤアまたしてもいはれぬ出過ぎ。立つてよければ身が立たす。このたびの御役目。首尾ようつとめさせくれよと。鹽谷が内證かほよの頼み。さうなくてかなはぬはず。大名でさへあのとほり。小身者に捨知行 誰がかげで取らする。師直が口一つで 五器提げうも知れぬあぶない身代。それでも武士と思ふぢやまで」と。邪魔の返報憎て口 くわつとせき立つ若狹之助。刀の鯉口碎くるほど 握り詰めは詰めたれども。神前なり御前なりと 一旦の堪忍も。今一言が生き死にの。ことばの先手「還御ぞ」と。御先を拂ふ聲々に せんかたなくも期をのばす。無念は胸に忘られず。惡事逆つて運強く 切られぬ高師直を。明日のわが身の敵とも。知らぬ鹽谷があと押へ。直義公は悠々と歩御なりたまふ御威勢。人の兜の龍頭 御藏に入るる數々も。四十七字のいろは分け かなの兜をやはらげて。兜頭巾の綻びぬ 國の。掟ぞ(三重)⌒\久方の。


第二   諌言の寢刃(松伐り)

 空も彌生の。たそかれ時。桃井若狹之助安近の。館の行儀掃き掃除。お庭の松も幾千代を守る館の執權職。加古川本藏行國。年も五十路の分別ざかり。上下ためつけ書院先。
 歩みくるともしらすの下人。「ナント關内。この間はお上にはでつかちないおこしらへ。都からのお客人。昨日は鶴岡の八幡へ御社參。おびただしいお物入り アアその銀の入目がほしい。その銀があつたらこの可介。名をあらためて樂しむになア」。「なんぢや 名をあらためて樂しむとは珍しい。そりやまたなんと替へる」。「ハテ角助とあらためて、胴を取つて見る氣」。「ナニばかつつらな わりや知らないか。昨日鶴岡で。これの旦那若狹之助樣。いかう不首尾であつたげな。子細は知らぬが 師直殿が大きな恥をかかせたとやつこ部屋の噂。定めてまた無理をぬかして。お旦那をやりこめをつたであろ」とさがなき口々。「ヤイ\/何をざわ\/と やかましいお上の取り沙汰。ことに御前の御病氣。お家の恥辱になることあらば この本藏聞きながしおくべきや。禍ひは下僕のたしなみ。掃除の役目しまうたら。みな行け\/」とやはらかに。女小姓が持ち出づる。たばこ輪を吹く雲を吹く。廊下おとなふ衣の香や。本藏がほんさうの一人娘の小浪御寮。母の戸無瀬もろともに しとやかに立ち出づれば。「これは\/兩人とも 御前のおとぎは申さいで。自身の遊びか 不行儀千萬」。「イエ\/今日は御前樣ことのほかの御機嫌。今すや\/とおやすみ それでナア母樣」。「イヤ申し本藏殿 先ほど御前の御物語。昨日小浪が鶴岡へ御代參の歸るさ。殿若狹之助樣。高師直殿ことば諍ひあそばせしとの御噂。誰がいふとなくお耳に入り それは\/きついお案じ。夫本藏子細くはしく知りながら。みづからに隱すのかやとお尋ねあそばすゆゑ。小浪に樣子を尋ぬれば。これもわたしと同じこと。なんにも樣子は存じませぬとのお返事。御病氣のさはりお家の恥になることなら」。「アアこれ\/戸無瀬。それほどのお返事 なぜ取りつくろうて申し上げぬ。主人は生得御短慮なるお生れつき。なんのことば諍ひなどとは。女わらべの口くせ。一言半句にても 舌三寸の誤りより。身を果たすが刀の役目。武士の妻でないか。それほどのことに氣がつかぬかたしなみめさ\/。ナニ娘。そちはまた御代參の道すがら。左樣の噂はなかりしか。ただしあつたか。ナニない。オオそのはず\/。ハハハハハなんの別してもないことを。よし\/奧方のお心やすめ。直きにお目にかからん」と立ち上がる折こそあれ。
 當番の役人罷り出で。「大星由良之助樣の御子息。大星力彌樣御出でなり」と申し上ぐる。「ムムお客御馳走の申し合せ。判官殿よりのお使ひならん こなたへ通せ。コレ戸無瀬 その方は御口上受け取り。殿へそのとほり申し上げられよ。お使者は力彌。娘小浪といひなづけの婿殿。御馳走申しやれ 先づ奧方へ御對面」と(ヲクリ)いひ捨て。⌒\一間に入りにける。
 戸無頼は娘をそば近く「なう小浪。父樣の堅苦しいは常なれど。今おつしやつた御口上。受け取る役はそなたにとありそなところを。戸無瀬にとは 母が心とはきついちがひ。そもじもまた力彌殿の顏も見たかろ。逢ひたかろ。母に代つて出迎やや。いやか\/」と問ひ返せば。あいともいやとも返答は あからむ顏のおぼこさよ。
 母は娘の心をくみ「アイタタタ。娘背を押してたも」。「これはなんとあそばせし」とうろたへさわげば「イヤなう。今朝からの心づかひ また持病の癪が差し込んだ。これではどうもお使者に逢はれぬ。アイタタタ娘。大儀ながら御口上も受け取り。御馳走も申してたも。お主と持病に勝たれぬ\/」と そろ\/と立ち上がり。「娘や ずいぶん御馳走申しやや。したがあまり馳走過ぎ。大事の口上忘れまいぞ。わしも婿殿にアイタ」あひたからうの奧樣は。氣をとほしてぞ奧へ行く。
 小浪は御あと伏し拜み\/。「かたじけない母樣。日ごろ戀しゆかしい力彌樣。逢はばどう言をかう言をと。娘心のどき\/と。胸に小浪を打ち寄する。
 疊ざはりも故實を正し 入り來る大星力彌。まだ十七の角髮や。二つ巴の定紋に 大小。立派さはやかに。
 さすが大星由良之助が子息と見えしその器量。しづ\/と座になほり。「誰そお取次ぎ頼みたてまつる」と慇懃に相述ぶる。小浪ははつと手をつかへ。じつと見かはす頻と顏。たがひの胸に戀人と。ものもえいはぬ赤面は。梅と櫻の花相撲に 枕の行司なかりけり。
 小浪やう\/胸おし鎭め。「これは\/御苦勞千萬にようこそお出で。ただいまの御口上受け取る役はわたし。御口上のおもむきを。お前の口からわたしが口へ。直きにおつしやつて下さりませ」とすり寄れば 身を控へ。「ハアこれは\/不作法千萬 惣じて口上受け取り渡しは。行儀作法第一」と。疊を下がり手をつかへ。「主人鹽谷判官より若狹之助樣への御口上。明日は管領直義公へ 未明よりあひ詰め申すはずのところ。さだめてお客人もさう\/にお出であらん。しかれば判官若狹之助兩人は。正七つ時にきつと御前へあひ詰めよと 師直樣より御仰せ。萬事間違ひのなきやうに いま一應お使者に參れと。主人判官申しつけ候ゆゑ みぎの仕合せ。このとほり若狹之助樣へ御申し上げ下さるべし」と。水を流せる口上に。小浪はうつかり顏見とれ とかう。答もなかりけり。「オオ聞いた\/ 使ひ大儀」と若狹之助。一間より立ち出で。「昨日お別れ申してより。判官殿間ちがうてお目にかからず。なるほど正七つ時に貴意得たてまつらん。委細承知つかまつる。判官殿にも御苦勞千萬と。よろしく申し傳へてくれられよ。お使者大儀」。「しからばお暇申し上げん。ナニお取次ぎの女中御苦勞」と。しづ\/立つて見向きもせず 衣紋つくろひ立ち歸る。
 本藏一間より立ちかはり。「ハア殿これに御入り。いよ\/明朝は。正七つ時に御登城 御苦勞千萬。今宵ももはや九つ。しばらく御まどろみあそばされよ」。「なるほど\/。イヤなに本藏。その方にちと用事あり 密々のこと。小浪を奧へ\/」。「ハアこりや\/娘。用事あらば手を打たう 奧へ\/」と娘を追ひやり。合點のいかぬ主人の顏色と 御そばへ立ち寄り。「先ほどよりおうかがひ申さんと存ぜしところ。委細つぶさに御仰せ。下さるべし」とさし寄れば にじり寄り。「本藏 今この若狹之助がいひ出す一言。何によらずかしこまりたてまつると 二言と返さぬ誓言聞かう」。「ハアこれは\/改まつた御ことば。かしこまり入りたてまつるではござれども。もののふの誓言は」。「ならぬといふのか」。「イヤさにあらず。先づ委細とつくとうけたまはり」。「子細をいはせあとで意見か」。「イヤそれは」。「ことばをそむくかサアなんと」。「ハツ はつ」とばかり差し俯き しばらく。ことばなかりしが。
 胸をきはめて指添拔き。片手に刀拔き出だし。てう\/\/と金打し。「本藏が心底かくのとほり。とどめもいたさず他言もせぬ。先づ思し召しのひととほりおせきなされずと。本藏めが胃の腑に。落ち着くやうにとつくりとうけたまはらん」と相述ぶる。「ムムひととほり語つて聞かせん。このたび管領足利左兵衞督直義公。鶴岡造營ゆゑ。この鎌倉へ御下向。御馳走の役は鹽谷判官。それがし兩人うけたまはるところに。尊氏將軍よりの仰せにて。高師直を御添人。萬事彼が下知にまかせ ご馳走申し上げよ。年配といひ諸事物馴れたる侍と。御意にしたがひ勝つにのつて 日ごろのわがまま十倍増し。都の諸武士竝みゐる中。若年のそれがしを見こみ雜言過言まつ二つにと思へども。お上の仰せをはばかり。堪忍の胸を押へしはいくたび。明日はもはや了簡ならず。御前にて恥面かかせる武士の意地。そのうへにて討つて捨つる かならず留めるな。日ごろそれがしを短慮なりと 奧をはじめその方が意見。いくたびか胸にとつくと合點なれども。無念重なる武士の性根。家の斷絶奧が嘆き。思はんにてはなけれども。刀の役目弓矢神へのおそれ。戰場にて討死はせずとも。師直一人討つて捨つれば天下のため。家の恥辱には代へられぬ。かならず\/短氣ゆゑに 身を果たす若狹之助。ゐのしし武者ようろたへ者と。世の人口を思ふゆゑ。汝にとつくとうち明かす」と。思ひ込んだる無念の涙。五臟をつらぬく思ひなる。
 横手を打つて「したり\/。ムムようわけをおつしやつた。よう御了簡なされた。この本藏なら今まで了簡はならぬところ」。「ヤイ本藏 ナナなんと言つた。今まではよう了簡した堪忍したとは。わりやこの若狹之助をさみするか」。「これはおことばともおぼえず。冬は日陰夏は日おもて。よけて通れば門中にて。行きちがひの喧譁口論ないと申すは町人のたとへ。武士の家では杓子定規。よけて通せば方圖がないと申すのが 本藏めが誤りか。御ことばさみいたさぬ心底。御覽に入れん」と御そばの。小刀 拔くより早く 書院なる。召し替へ草履片方片手の早寢刃。とつくと合はせ縁先の松の片枝。ずつぱと切つて手ばしかく。鞘に納め。「サア殿。まつこのとほりにさつぱりと遊ばせ\/」。「いふにやおよぶ。人や聞く」と あたりに氣をつけ。「今夜はまだ九つ ぐつたりと一休み。枕時計の目さまし本藏めがしかけ置く 早く\/」。「オオ聞き入れあつて滿足せり。奧にも逢うてよそながらの暇乞ひ。モウ逢はぬぞよ本藏。さらば\/」といひ捨てて 奧の一間に入りたまふ 武士の意氣地は是非もなし。
 御うしろ影見送り\/ 勝手口へ達り出で。「本藏が家來ども馬引け早く」といふ間もなく。股立しやんとりりしげに 御庭に引き出せば。
 縁よりひらりと打ち乘つて「師直の館まで。續けや續け」と乘り出だす。轡に縋つて戸無瀬小浪「コレ\/どこへ。始終の樣子は聞きました 歳にこそよれ本藏殿。主人に御意見も申さず。合點ゆかぬ 留めます」と。母と娘がぶら\/\/。轡に縋りとどむれば。「ヤア小さし出た。主人のお命お家のため思ふゆゑにこの仕儀。かならずこのこと殿へ御沙汰いたすな。お耳へ入れたら娘は勘當。戸無頼は夫婦の縁を切る。家來ども道にて諸事をいひつけん。そこ退け兩人〕「イヤイヤ\/」。「シヤ面倒な」と鐙のはな。一當てはつしと當てられて。うんとばかりにのつけにそるを 見向きもせず。「家來續け」と馬けぶり おつ立て打ち立て力足 踏み立ててこそ(三重)⌒\驅けりゆく


第三   戀歌の意趣(館騷動)

 足利左兵衞督直義公。關八州の管領と 新たに建てし御殿の結構。大名小名美麗を飾る晴れ裝束。鎌倉山の星月夜と 袖をつらぬる御馳走に。御能役者は裏門口。表御門はお客人 おもてなしの役人衆。正七つ時の御登城 武家の。威光ぞかがやきける。
 西の御門の見付の方。「ハイ\/\/」といかめしく。提燈照らし入り來るは。武藏守高師直。權威をあらはす鼻高々。花色模樣の大紋に。胸に我慢の立烏帽子。家來どもを役所\/に殘し置き。下僕わづかに先を拂はせ。主の威光の召しおろし。鶴のまねする鴛坂伴内。肩肘いからし「申しお旦那。今日の御前表も上首尾\/。鹽谷で候の。イヤ桃井で候のと。日ごろはどつぱさつぱとどしめけど。行儀作法はゑのころを。屋根へ上げたやうで。さりとは\/腹の皮。イヤそれにつき かね\/鹽谷が妻かほよ御前。いまだ殿へ御返事いたさぬよし。お氣には障へられな。器量はよけれど氣がかなはぬ。なんの鹽谷づれと。當時出頭の師直樣と」。「ヤイ\/聲高に口きくな。ぬしあるかほよ。たび\/歌の師範に事寄せ。口説けども今にかなはぬ。すなはち彼が召使ひ。かるといふ腰元新參と聞き。きやつをこまづけ頼んで見ん。さてまだ取得がある。かほよがまことにいやならば。夫鹽谷に子細をぐわらりと打ち明ける。ところをいはぬは樂しみ」と。四つ足門の片陰に 主從うなづき話し合ふ をりもあれ。
 見付に控へし侍 あわただしく走り出で。「われ\/見付のお腰掛に控へしところへ。桃井若狹之助家來 加古川本藏。師直樣へ直きにお目にかからんため。早馬にてお屋敷へ參つたれども はや御登城。是非御意得たてまつらんと。家來も大勢召し連れたる體。いかがはからひ申さんや」と 聞くより伴内さわぎ出し。「今日御用のある師直樣へ。直きに對面とは推參なり。それがし直談」と走り行くを。「待て\/伴内 子細は知れた。一昨日鶴岡にての意趣晴らし。わが手を出さず本藏めにいひつけ。この師直が威光の鼻をひしがんため。ハハハハハ伴内ぬかるな。七つにはまだ間もあらん。これへ呼び出せ 仕舞うてくれん」。「なるほど\/ 家來ども氣をくばれ」と。主從刀の目釘を濕し。手ぐすねひいて。待ちかけゐる。
 ことばにしたがひ加古川本藏。衣紋つくろひ悠々とうち通り。下僕に持たせし進物ども。師直が目通りに竝べさせ はるか。下がつてうづくまり。「ハアはばかりながら師直樣へ申し上げたてまつる。このたび主人若狹之助。尊氏將軍より御大役仰せつけられ下さる段。武士の面目身にあまる仕合せ。若輩の若狹之助。なんの作法もおぼつかなく。いかがあらんと存ずるところに。師直樣方事御師範をあそばされ。諸事を御引き回し下され候ゆゑ。首尾よく御用相勤めるも まつたく主人が手柄にあらず。みな師直樣の御取りなしと。主人をはじめ奧方一家中。われ\/までも大慶このうへや候ふべき。さるによつて近ごろ些少のいたりに候へども。右御禮のため一家中よりの贈り物。お受けあそばされ下さらば。生前の面目ひとしほ願ひたてまつる。すなはち目録御取次ぎ」と伴内に差し出せば。不思議さうにそつと取り押し開き。「目録 一つ卷物三十本黄金三十枚若狹之助奧方。一つ黄金二十枚家老加古川本藏。同じく十枚番頭。同じく十枚侍中。右の通り」と讀み上ぐれば。師直はあいた口ふさがれもせずうつとりと。主從顏を見合はせて。氣拔けのやうにきよろりつと。祭の延びた六月のつごもり見るがごとくにて。手持ち無沙汰に見えにける。
 にはかにことばあらためて。「これは\/\/いたみ入つたる仕合せ。伴内こりやどうしたもの。ハテさて\/」。「ハアお辭宜申さばおこころざしそむくといひ。第一は大きな無禮」。「エエ式作法を教ゆるも。こんなをりにはとんとこまる。ナニものぢやわ。イヤハヤ本藏殿。なんの師範いたすほどの事もないが。とかくマア若狹之助殿は器用者。師範の拙者およばぬ\/。コリヤ伴内 進物どもみな取り納め。エエ不行儀な。途中でお茶さへえ進ぜぬ」と。手の裏返す挨拶に 本藏が胸算用してやつたりと なほも手をつき。「もはや七つの刻限はやお暇。ことに今日はなほ晴れの御座敷。いよ\/主人の儀御引き回し頼み存ずる」と。立たんとする袂を控へ。「ハテえいわいの。貴殿も今日の御座敷の座なみ。拜見なされぬか」。「イヤ倍臣のそれがし御前の恐れ」。「大事ない\/。この師直が同道するに。誰がぐつといふ者ない。ことにまた若狹之助殿も。なんぞれかぞれ小用のあるもの。ひらに\/」とすすめられ。「しからば御供つかまつらん。御意をそむくはかへつて無禮。先づお先へ」と跡につき。金で面はる算用に。主人の命も買うて取る。二一天作そろばんの。桁をちがへぬ白鼠。忠義忠臣忠孝の。道は一筋眞つ直ぐに うち連れ御門に入りにける。
 ほどもあらさず入り來るは。鹽谷判官高定。これも家來を殘し置き。乘物道に立てさせ。譜代の侍早野勘平。朽葉小紋の新袴。ざわ\/ざわつく御門前。「鹽谷判官高定登城なり」とおとなひける。門番罷り出で。「先ほど桃井樣御登城あそばされ御尋ね。ただいままた師直樣御こしにて御尋ね。はや御入り」とあひ述ぶる。「ナニ勘平 もはや皆々御入りとや。遲なはりし殘念」と。勘平一人御供にて 御前へこそは急ぎ行く。
 奧の御殿は御馳走の。地謠の聲播磨潟。(謠)高砂の浦に着きにけり\/。  謠ふ聲々門外へ。風が持てくる柳陰。その柳より風俗は。まけぬ所體の十人九(小ヲクリ)松の。みどりの細眉も 堅い屋敷にもの馴れし。奇特帽子のうしろ帶 供のやつこが提燈は 鹽谷が家の紋所。
 御門前に立ちやすらひ。「コレやつこ殿。やがてもう夜も明ける。こなた衆は門内へはかなはぬ。ここから去んで休んでや」と。ことばにしたがひ「ナイ\/」と 供の下僕は歸りける。
 内をのぞいて「勘平殿は何してぞ。どうぞ逢ひたい 用がある」と。見回す折からうしろ影。ちらと見つけ。「おかるぢやないか」。「勘平さん逢ひたかつたに ようこそ\/」。「ムム合點のゆかぬ夜中といひ。供をも連れずただ一人」。「さいなあ。ここまで送りし供のやつこは先へ歸した。わし一人殘りしは。奧樣からのお使ひ。どうぞ勘平に逢うてこの文箱。判官樣のお手に渡し。お慮外ながらこの返歌を お前のお手からすぐに師直樣へ。お渡しなされ下さりませと傳へよ。しかし。お取込みのなか 間ちがふまいものでなし。マア今宵はよしにせうとのおことば。わたしはお前に逢ひたい望み。なんのこの歌の一首や二首。お屆けなさるるほどの間のない事はあるまいと。ついひと走りに走つて來た。アアしんどや」と吐息つく。「しからばこの文箱 旦那の手から師直樣へ渡せばよいぢやまで。どりや渡してこう 待つてゐい」といふうちに 門内より。「勘平\/\/ 判官樣が召しまする。勘平\/」。「ハイハイ\/ただいまそれへ。エエ忙しない」と 袖ふり切つて行く跡へ。
 どぢやう踏む足つき鷺坂伴内。「なんとおかる 戀の知惠はまた格別。勘平めとせせくつてゐるところを。勘平\/旦那がお召しと呼んだはきついか\/。師直樣がそもじに頼みたい事があるとおつしやる。われらはそさまにたつた一度。君よ\/」と抱きつくを突きとばし。「コレみだらなことあそばすな。式作法のお家にゐながら狼籍千萬。あた無作法なあた不行儀」と。突きのくれば「それはつれない。暗がりまぎれについちよこ\/」と。手を取りあらそふそのうちに。「伴内樣\/ 師直樣の急御用。伴内樣\/」と。やつこ二人がうろ\/目玉で「これはしたり伴内樣。最前から師直樣がお尋ね。式作法のお家にゐながら。女を捕へあた不行儀な。あた無作法」と。下僕が口々「エエ同じやうに何ぬかす」と。面ふくらして連れ立ち行く。
 勘平跡へ入り替り。「なんと今のはたらき見たか。伴内めが一杯くらうてうせをつた。おれが來て旦那が呼ばしやるといふと。おけ 古いとぬかすが面倒さに。やつこどもに酒飮ませ。古いといはさぬこの手立て。ハハ\/\/まんまと首尾は仕おほせた」。「サアその首尾ついでにな。ちよつと\/」と手を取れば。「ハハテさてはづんだ マア待ちやいの」。「何いはんすやら。なんの待つことがあるぞいなア。もうやがて夜が明けるわいな。是非に\/に」是非なくも 下地は好きなり御意はよし。「それでもここは人出入り」。奧は謠の聲高砂。(謠)松根によつて腰を摩れば。 「アノ謠で思ひついた。イザ腰かけで」と手を引き合ひ うち連れて行く。脇能過ぎて御樂屋に 鼓の調べ太鼓の音。天下泰平繁盛のことぶき祝ふ直義公。御機嫌ななめならざりける。
 若狹之助はかねて待つ 師直遲しと御殿の内。奧をうかがふ長袴の紐締めくくり氣くばりし。おのれ師直まつ二つと 刀の鯉口息を詰め。待つとも知らぬ。
 師直主從遠目に見つけ。「これは\/若狹之助殿。さて\/お早い御登城。イヤハヤ我折りました。われら閉口\/。イヤ閉口ついでに貴殿にいひわけいたし。お詫び申すことがある」と。兩腰ぐわらりと投げ出し。「若狹之助殿。あらためて申さねばならぬひととほり。いつぞや鶴岡で。拙者が申した過言。オオお腹が立つたであらう もつともぢや。がそこをお詫び。その時はどうやらしたことばの間ちがひでつい申した。われら一生の粗忽。武士がこれ手を下げる まつぴら\/。假令そこもとが物馴れたお人なりやこそ。ほか\/のうろたへ者で見さつしやれ。この師直眞つ二つ こはや\/。ありやうがその節貴殿の後ろ影。手を合はして拜みましたアハハハ。アア年寄るとやくたい\/。年に免じて御免\/。これさ\/。武士が刀を投げ出し手を合はす。これほどに申すのを聞き入れぬ貴公でもないわさ。とかく幾重にも謝り\/。伴内とも\/にお詫び\/」と。金がいはする追從とは 夢にも知らぬ若狹之助。力みし腕も拍子拔け。今さら拔くに拔かれもせず。寢刃合はせし刀の手前 差し俯きし思案顏。小柴の陰には本藏が。またたきもせずまもりゐる。「ナニ伴内 この鹽谷はなぜ遲い。若狹之助殿とはきついちがひ。さて\/不行儀者。今において面出しせぬ。主が主なれば家老で候とて。諸事に細心のつくやつが一人もない。いざ\/若狹之助殿御前へ御供いたそ。サアお立ちなされ。サアササア師直め謝つてをるぞ。コリヤここな粹め\/。すい樣め」。「イヤ若狹之助最前から。ちと心惡うござる マア先へ」。「なんとした\/ 腹痛か。コレサ伴内お背中\/。お藥進じよかな」。「イヤ\/それほどにもござらぬ」。「しからば少しのうちおくつろぎ。御前の首尾はわれらがよいやうに申し上げる。伴内一間へお供申せ」と。主從寄つてお手車に 迷惑ながら若狹之助。これはと思へど是非なくも奧の一間へ入りければ。「アアもう樂ぢや」と本藏は。天を拜し地を拜し お次の間にぞ控へゐる。
 ほどもあらさず鹽谷判官。御前へ通る長廊下 師直呼びかけ「遲し\/。なんと心得てござる。今日は正七つ時と。先刻から申し渡したでないか」。「なるほど遲なはりしは不調法 さりながら。御前へ出るはまだ間もあらん」と。袂より文箱取り出し。「最前手前の家來が。貴公へお渡し申しくれよ。すなはち奧かほよ方より參りし」と。渡せば受け取り「なるほど\/。イヤそこもとの御内寶はさて\/心がけがござるわ。手前が和歌の道に心を寄するを聞き。添削を頼むとある。定めてその事ならん」とおし開き。「さなきだに。重きがうへのさよ衣。わがつまならぬつまな重ねそ。ハアこれは新古今の歌。この古歌に添削とはムム。\/」と思案のうち。わが戀のかなはぬしるし。さては夫にも打ち明けしと思ふいかりをさあらぬ顏。「判官殿。この歌御らうじたでござらう」。「イヤただいま見ました」。「ムム手前が讀むのを。アア貴殿の奧方はきつい貞女でござる。ちよつとつかはさるる歌がこれぢや。つまならぬつまな重ねそ。アア貞女\/。アそこもとはあやかりもの。登城も遲なはるはずのこと。内にばかりへばりついてござるによつて。御前のはうはおかまひないぢや」と。當てこする雜言過言。あちらの喧譁の門ちがひとは。判官さらに合點ゆかず。むつとせしが押し鎭め。「ハハ\/\/これは\/。師直殿には御酒機嫌か。御酒參つたの」。「いつ盛らしやつた。イヤいつ飮みました。御酒下されても飮まいでも。つとめるところはきつとつとめる。貴公はなぜ遲かつたの。御酒參つたか。イヤ内にへばりついてござつたか。貴殿より若狹之助殿 アア格別つとめられます。イヤまたそこもとの奧方は貞女といひ。御器量と申し。手跡は見事。御自慢なされ。むつとなされな 嘘はないわさ。今日御前にはお取り込み。手前とても同然。その中へ鼻毛らしい。イヤこれは手前が奧が歌でござる。それほど内が大切なら御出で御無用。惣體きさまのやうな。内にばかりゐる者を。井戸の鮒ぢやといふたとへがある。聞いておかしやれ。かの鮒めがわづか三尺か四尺の井の内を。天にも地にもないやうに思うて。ふだん外を見ることがない。ところにかの井戸がへに釣瓶について上がります。それを川へ放しやると。何が内にばかりゐるやつぢやによつて。よろこんで度を失ひ。橋杭で鼻を打つて。即座にぴり\/\/\/と死にます。きさまもちやうど鮒と同じことハハ\/\/」と出放題。
 判官腹に据ゑかね。「こりやこなた狂氣めさつたか。イヤ氣がちがうたか師直」。「シヤこいつ。武士をとらへて氣ちがひとは。出頭第一の高師直……」。「ムムすりや今の惡言は本性よな」。「くどい\/。また本性なりやどうする」。「オオかうする」と拔討ちに。眞向へ切りつくる眉間の大疵。これはと沈む身のかはし。烏帽子の頭二つに切れ。また切りかかるを拔けつくぐりつ逃げ回るをりもあれ。お次に控へし本藏 走り出て押しとどめ。「コレ判官樣御短慮」と 抱きとむるその隙に師直は。館をさしてこけつまろびつ逃げ行けば。「おのれ師直 眞つ二つ。放せ本藏放しやれ」とせり合ふうち。館もにはかにさわぎ出し。家中の‥諸武士大名小名。押へて刀もぎ取るやら。師直を介抱やら上を下へと。(三重)⌒\立ちさわぐ。

 表御門裏御門。兩方打つたる館の騷動 提燈ひらめく大さわぎ。早野勘平うろ\/まなこ 走り歸つて裏御門。碎けよわれよと打ちたたき 大聲上げ。「鹽谷判官の御内早野勘平 主人の安否心許なし ここ明けて賜べ早く\/」と呼ばはつたり。
 門内よりも聲高々。「御用あらば表へ回れ ここは裏門」。「なるほど裏門合點。表御門は家中の大ぜい早馬にて寄りつかれず。喧譁の樣子はなんと\/」。「喧譁の次第相濟んだ。出頭の師直樣へ慮外いたせし科によつて。鹽谷判官は閉門仰せつけられ。網乘物にてたつた今歸られし」と聞くより「ハア南無三寶。お屋敷へ」と走りかかつて「イヤ\/\/。閉門ならば館へはなほ歸られじ」と行きつ。戻りつ思案最中。腰元おかる道にてはぐれ「ヤア勘平殿。樣子は殘らず聞きました。こりやなんとせう どうせう」と取りつき。嘆くを取つて突きのけ。「エエめろノトと吠えづら。コリヤ勘平が武士はすたつたわやい。もうこれまで」と刀の柄「コレ待つて下され。こりやうろたへてか 勘平殿」。「オオうろたへた。これがうろたへずにゐられうか。主人一生懸命の場にもあり合はさず あまつさへ。囚人同然の網乘物 御屋敷は閉門。その家來は色にふけり 御供にはづれしと人中へ。兩腰差して出られうか ここを放せ」「ママママ待つて下さんせ。もつともぢや道理ぢやが。そのうろたへ武士には誰がした。みんなわしが心から 死ぬる道ならお前より わたしが先へ死なねばならぬ。今お前が死んだらば 誰が侍ぢやと褒めまする。ここをとつくりと聞き分けて。わたしが親里へ一先づ來て下さんせ。父樣も母樣も 在所でこそあれ頼もしい人。もうかうなつた因果ぢやと思うて女房のいふことも。聞いて下され勘平殿」とわつとばかりに。泣きしづむ。「さうぢやもつとも。そちは新參なれば委細のことはえ知るまい。お家の執權大星由良之助殿。いまだ本國より歸られず。歸國を待つてお詫びせん。サア一時なりとも急がん」と身ごしらへするところへ
 鷺坂伴内家來引き連れ驅け出で。「ヤア勘平 うぬが主人判官師直樣へ慮外をはたらき。かすり疵負ほせし科によつて 屋敷は閉門。おつつけ首がとぶはしれた事 サア腕回せ。連れ歸つてなぶり切る 覺悟ひろげ」とひしめけば。「ヤアよいところへ鷺坂伴内。おのれ一羽で食ひたらねど。勘平が腕の細ねぶか。料理あんばいくうて見よ」。「イヤ物ないはすな家來ども」「かしこまつた」と兩方より。「取つた」とかかるを「まつかせ」とかいくぐり。兩手に兩腕捻ぢ上げ はつし\/と蹴かへせば。
 かはつて切り込む切先を 刀の鞘にてちやうど受け。回つてくるを鐺と柄にてのつけにそらし。四人一所に切りかかるを 右と左へ一時に。田樂返しにばた\/\/と打ち据ゑられ。皆ちり\/に行くあとへ。伴内いらつて切りかくる ひつぱづしそつ首にぎり。大地へどうどもんどり打たせ しつかと踏みつけ。「サアどうせうとこつちのまま。突かうか切らうかなぶり殺し」と 振り上げる刀に縋つて。「コレ\/そいつ殺すとお詫びのじやま。もうよいわいな」と留めるまに 足の下をばこそ\/と。尻に尾のない鷺坂は。命から\/逃げて行く。「エエ殘念\/ さりながら。きやつをばらさば不忠の不忠。一先づ夫婦が身を隱し 時節を。待つて願うて見ん」。もはや明六つ東が白む横雲に。塒をはなれ飛ぶからす かはい\/のめうと連れ 道は。急げど跡へ引く。主人の御身いかがぞと 案じ。行くこそ。(三重)⌒\浮世なれ


第四   來世の忠義(判官切腹)

 鹽谷判官閉居によつて 扇が谷の上屋敷。大竹にて門戸を閉ぢ。家中のほかは出入りをとどめ。事嚴重に見えにけり。
 かかるをりにも。花やかに(小ヲクリ)奧は。なまめく女中の遊び。御臺所かほよ御前。おそばには大星力彌。殿のお氣をなぐさめんと。鎌倉山の八重九重いろ\/さくら。花かごに。活けらるる花よりも。活ける人こそ花もみぢ。
 柳の間の廊下を傳ひ 諸士頭原郷右衞門。跡に續いて斧九太夫。「これは\/力彌殿 早い御出仕」。「イヤそれがしも國元より親どもが參るまで。晝夜あひ詰め罷りある」。「それは御奇特千萬」と郷右衞門兩手をつき。「今日殿の御機嫌は。いかがおわたりあそばさるる」と。申し上ぐれば かほよ御前。「オオ二人とも大儀\/。このたびは判官樣お氣づまりにおぼし召し。おしつらひでも出やうかと 案じたとは格別。明け暮れ築山の花ざかり御らうじて。御機嫌のよいお顏ばせ。それゆゑにみづからもお慰みに差し上げうと。名あるさくらを取り寄せて 見やるとほりの花ごしらへ」。「アアいかさまにも仰せのとほり。花は開くものなれば御門も開き。閉門を御許さるる吉事の御趣向。拙者も何がなと存ずれど。かやうなことの思ひつきは。無調法なる郷右衞門。ヤア肝心のこと申し上げん。今日御上使のお出でとうけたまはりしが。定めて殿の御閉門を御許さるる御上使ならん。なんと九太夫殿。さうはおぼし召されぬか」。「ハハハハハコレ郷右衞門殿。この花といふものも。當分人の目をよろこばすばつかり。風が吹けば散り失せる。こなたのことばもまつそのごとく。人の心をよろこばさうとて。武士に似合はぬ。ぬらりくらりと跡からはげる正月ことば。なぜとお言やれ。このたび殿の御越度は。もてなしの御役儀をかうむりながら。執事たる人に手を負ほせ。館をさわがせし科。輕うて流罪。重うて切腹。じたいまた師直公に。敵對ふは殿の御不覺」と。聞きもあへず郷右衞門。「さてはそのはう。殿の流罪切腹を願はるるか」。「イヤ願ひはいたさねど。ことばを飾らず眞實を申すのぢや。もとをいへば郷右衞門殿。こなたの吝嗇吝さからおこつたこと。金銀をもつて面をはりめさるれば。かやうな事はでき申さぬ」と。おのが心に引きあてて。欲面うち消す郷右衞門。「人にこびへつらふは侍でない。武士でない なう力彌殿。なんとさうではあるまいか」と。ことばのかどをなだむる御臺。「二人ともにあらそひ無用。こんど夫の御難儀なさる。もとのおこりはこのかほよ。いつぞや鶴岡でもてなしの折から。道知らずの師直。ぬしのあるみづからに むたいな戀をいひかけ。さま\/と口説きしが。恥を與へ懲りさせんと。判官樣にも知らさず。歌の點に事寄せ。さよ衣の歌を書き 恥ぢしめてやつたれば。戀のかなはぬ意趣ばらしに 判官樣に惡口。もとより短氣なお生れつき。え堪忍なされぬは お道理でないかいの」と。語りたまへば郷右衞門 力彌もともに御主君の。御憤りを察し入り。心外面にあらはせり。
 「はや御上使の御出で」と 玄關廣間ひしめけば。奧へかくと通じさせ 御臺所も座をさがり 三人出迎ふあひだもなく。入り來る上使は石堂右馬之丞。師直が昵近藥師寺次郎左衞門。「役目なれば罷り通る」と 會釋もなく上座につけば。一間の内より鹽谷判官。しづ\/と立ち出で。「これは\/。御上使とあつて石堂殿御苦勞千萬。先づお杯の用意せよ。御上使のおもむきうけたまはり。いづれもと一獻汲み。積鬱を晴らし申さん」。「オオそれようござろ。藥師寺もお間いたさう。したが上意を聞かれたら。酒も咽へ通るまい」と。あざ笑へば右馬之丞。「われ\/今日。上使に立つたるそのおもむき。つぶさに承知せられよ」と。懷中より御書取り出だし。押し開けば判官も 席を。改め うけたまはるその文言。「このたび鹽谷判官高定。わたくしの宿意をもつて。執事高師直を刃傷におよび。館をさわがせし科によつて。國郡を沒收し。切腹申しつくるものなり」。聞くよりはつとおどろく御臺。竝みゐる諸士も顏見合せ あきれ。果てたるばかりなり。
 判官動ずる氣色もなく。「御上意のおもむき委細承知つかまつる。さてこれからは。おの\/の御苦勞休めに。うちくつろいで御酒一つ」。「コレ\/判官だまり召され。その方が今度の科は。縛り首にもおよぶべきところ。お上の慈悲をもつて。切腹仰せつけらるるをありがたう思ひ。早速用意もすべきはず。ことにもつて 切腹には定まつた法のあるもの。それになんぞや。當世樣の長羽織。ぞべら\/としらるるは。酒興かただし血迷うたか。上使に立つたる石堂殿。この藥師寺へ無作法」と。きめつくれば につこと笑ひ。「この判官。酒興もせず血迷ひもせぬ。今日上使と聞くよりも。かくあらんと期したるゆゑ。かねての覺悟見すべし」と。大小羽織を脱ぎ捨つれば。下には用意の白小袖 無紋の上下死裝束。皆々これはと驚けば。藥師寺は言句も出ず。顏ふくらして閉口す。
 右馬之丞さし寄つて。「御心底察し入る。すなはち拙者檢使の役。心靜かに御覺悟」。「アア御親切かたじけなし。刃傷におよびしより。かくあらんとはかねての覺悟。恨むらくは館にて。加古川本藏に抱き留められ。師直を討ち殘らし無念。骨髓にとほつて忘れがたし。湊川にて楠木正成。最期の一念によつて生を引く といひしごとく。生き替り死に替り。鬱憤を晴らさん」と。怒りの聲ともろともに。お次の襖打ちたたき。「一家中の者ども。殿の御存生に御尊顏を拜したき願ひ。御前へ推參いたさんや。郷右衞門殿お取次ぎ」と。家中の聲々聞ゆれば。郷右衞門御前に向ひ。「いかがはからひ候はん」。「フウもつともなる願ひなれども。由良之助が參るまで無用\/」。「はつ」とばかり一間に向ひ。「聞かるるとほりの御意なれば。一人もかなはぬ\/」。諸士はかへすことばもなく。一間もひつそと。靜まりける。
 力彌御意をうけたまはり。かねて用意の腹切り刀 御前に直すれば。心靜かに肩衣取りのけ 座をくつろげ。「コレ\/御檢使。御見とどけ下さるべし」と。三寶引き寄せ 九寸五分押しいただき。「力彌。\/」。「ハア」。「由良之助は」。「いまだ參上つかまつりませぬ」。「フウ。エエ存生に對面せで殘念。ハテ殘り多やな。是非におよばぬ これまで」と。刀逆手に取り直し。弓手に突き立て引き回す。御臺二目と見もやらず 口に稱名 目に涙。廊下の襖踏みひらき。驅け込む大星由良之助。主君のありさま見るよりも。はつとばかりにどうど伏す。あとに續いて千崎 矢間。そのほかの一家中ばら\/と驅け入つたり。「ヤレ由良之助 待ちかねたわやい」。「ハア御存生の御尊顏を拜し。身に取つてなにほどか」。「オオわれも滿足\/。定めて子細聞いたであろ。エエ無念。口惜しいわやい」。「委細承知つかまつる。この期におよび。申し上ぐることばもなし。ただ御最期の尋常を。願はしう存じまする」。「オオいふにやおよぶ」ともろ手をかけ。ぐつ\/と引き回し。苦しき息をほつとつき。「由良之助。この九寸五分は汝へ形見。わが鬱憤を晴らさせよ」と。切先にてふえはね切り。血刀投げ出しうつぶせに。どうどまろび息絶ゆれば。御臺をはじめ竝みゐる家中。まなこを閉ぢ息を詰め 齒を食ひしばり控ゆれば。由良之助にじり寄り 刀取り上げおしいただき。血に染まる切先を うち守り\/。拳を握り。無念の涙はら\/\/。判官の末期の一句 五臟六腑にしみわたり。さてこそ末世に大星が。忠臣義心の名をあげし 根ざしは。かくと知られけり。
 藥師寺は突つ立ち上がり。「判官がくたばるからは 早々屋敷を明け渡せ」。「イヤさはいはれな藥師寺。いはば一國一城のあるじ。ヤ方々。葬送の儀式取りまかなひ。心靜かに立ち退かれよ。この石堂は檢使の役目。切腹を見とどけたれば。この旨を言上せん。ナニ由良之助殿。御愁傷察し入る。用事あらばうけたまはらん かならず心おかれな」と。竝みゐる諸士に目禮し。悠々として立ち歸る。「この藥師寺も 死骸片づけるそのあひだ。奧の間で休息せう。家來參れ」と呼び出だし。「家中どもががらくた道具 門前へ放り出せ。判官が所持の道具。にはか浪人にまげられな」と。館の四方をねめ回し。一間の内へ入りにける。
 御臺はわつと聲をあげ。「さても\/もののふの身の上ほどかなしいもののあるべきか。いま夫の御最期に いひたいことはやま\/なれど。未練なと御上使のさげしみが恥づかしさに。今までこらへてゐたわいの。いとほしのありさまや」と。亡き骸に抱きつき 前後も。分かず泣きたまふ。「力彌參れ。御臺所もろとも亡君の御骸を。御菩提所光明寺へ 早々送りたてまつれ。由良之助もあとより追つつき。葬送の儀式取りおこなはん。堀 矢間 小寺 間。そのほかの一家中 道の警固いたされよ」と。ことばの下より御乘物 手舁きに舁き据ゑ戸を開き。みな立ち寄りて御死骸涙とともに。乘せたてまつり しづ\/と舁き上ぐれば。御臺所は正體なく 嘆きたまふをなぐさめて。諸士の面々われ一と。御乘物にひつ添ひ\/ (ヲクリ)御菩提。⌒\所へと急ぎ行く。
 人々御骸見送りて。座につけば 斧九太夫。「なに大星殿。そこもとは御親父八幡六郎殿よりの家老職。拙者とてもその右には座せども。今日より浪人となり。妻子をはごくむ手立てなし。殿の貯へ置きたまふ 御用金を配分し。早く屋敷を渡さずば。藥師寺殿へ無禮ならん」。「イヤ千崎が存ずるには。指す敵の高師直。存命なるがわれ\/が鬱憤。討手を引き受け。この館を枕として」。「アアこれ\/。討死とは惡い了簡。親九太夫の申さるるとほり 屋敷を渡し。金銀を分けて取るが上分別」と。評議のうちに由良之助。默然としてゐたりしが。「ただいまの評諚に。彌五郎の所存と。わが胸中 一致せり。いはば亡君の御ために。われ\/殉死すべきはず。むざ\/と腹切らうより。足利の討手を待ち受け。討死と一決せり」。「ヤアなんといはるる。よい評諚かと思へば。浪人の痩せ顏張り。足利殿に弓引かう。アアそれは無分別。マアこの九太夫合點がいかぬ」。「オオおやぢ殿 さうぢや\/。この定九郎もその意を得ぬ。この談合にははぶいてもらはう。長居は無益 お歸りなされ」。「それよかろ。いづれもゆるりと居めされ」と。親子うち連れ立ち歸る。
 「ヤア欲面の斧親子。討死を聞きおぢして 逃げ歸つたる臆病者。きやつかまはずと大星殿。討手を待つ御用意\/」。「アアさわがれな彌五郎。足利殿になに恨みあつて弓引くべき。かれら親子が心底を 探らんための計略。藥師寺に屋敷を渡し。思ひ\/に當所を立ち退き。都山科にて再會し。胸中殘さず打ち明けて。評議をしめん」といふ間もあらせず。次郎左衞門一間を立ち出で。「ハテべん\/と良詮議。死骸片づけたら。早く屋敷を明け渡せ」と。いがみかかれば 郷右衞門。「アアなるほどお待ちかね。亡君所持の御道具。そのほかの武具馬具まで よく\/改め受け取られよ。サア由良之助殿 退散あれ」。「オオ心得たり」と しづ\/と立ち上がり。御先祖代々。われ\/も代々。晝夜詰めたる館の内 今日をかぎりと思ふにぞ。名殘り惜しげに見返り。\/ 御門外へ立ち出づれば。
 御骸送りたてまつり。力彌 矢間 堀 小寺 おひ\/にはせ歸り。「さては屋敷をお渡しあつたか。このうへは直義の。討手を引き受け討死せん」と。はやり立てば 由良之助。「イヤ\/今死すべきところにあらず。これを見よ方々」と。亡君の御形見を拔きはなし。「この切先には。わが君の御血をあやし。御無念の魂を 殘されし九寸五分。この刀にて師直が。首かき切つて本意を遂げん」。「げにもつとも」と諸武士のいさみ。屋敷の内には藥師寺次郎。門の貫の木はつしと立てさせ。「師直公の罰があたり。さてよいざま\/」と。家來一度に手をたたき。どつと笑ふ鬨の聲。
 「あれ聞かれよ」と若侍 取つて返すを由良之助。「先君の御憤り。晴らさんと思ふ所存はないか」。「はつ」と一度に立ち出でしが。思へば無念と館の内を。振り返り\/。はつたと。にらんで(三重)⌒\立ち出づる


  第五 恩愛の二つ玉(山崎街道)

 鷹は死しても穗は摘まずと たとへに殘れず入る月や。日數も積る山崎の ほとりに近き佗び住居。早野勘平若氣の誤り 世渡る元手細道傳ひ。この山中の鹿猿を 打つて商ふ種が島も。用意に持つや袂まで 鐵砲雨のしだらでん。誰が水無月と夕立の。晴間をここに松の陰。
 向ふより來る小提燈 これもむかしは弓張りの ともし火。消さじ濡らさじと。合羽の裾に大雨を しのぎて急ぐ夜の道。「イヤ申し\/。卒爾ながら火を一つ 御無心」と立ち寄れば。旅人もちやくと身構へし。「ムムこの街道は無用心と 知つて合點の一人旅。見れば飛び道具の一口商ひ。得こそはかさじ出直せ」と。びくと動かば一討ちと まなこをくばれば。「イヤアなるほど。盜賊とのお目たがひ 御もつとも千萬。われらはこのあたりの狩人なるが。先ほどの大雨に火口も濕り 難儀至極。サア鐵砲それへお渡し申す。自身に火をつけ御貸し」と。他事なきことば顏つきを。きつとながめて。「和殿は早野勘平ならずや」。「さいふ貴殿は千崎彌五郎」。「これは堅固で」「御無事で」と 絶えて久しき對面に。主人の御家沒落の。胸に忘れぬ無念の思ひ たがひに。拳を握り合ふ。
 勘平は差し俯き。しばしことばもなかりしが。「エエ面目もなきわが身の上。古朋輩の貴殿にも。顏も得上げぬこの仕合せ。武士の冥加に盡きたるか。殿判官公の御供先。お家の大事起りしは 是非におよばぬわが不運。その場にもあり合はせず。御屋敷へは歸られず しよせん。時節を待つて御託びと。思ひのほかの御切腹南無三寶。みな師直めがなすわざ。せめて冥途の御供と刀に手はかけたれど。何を手柄に御供と。どの面さげていひわけせんと 心をくだく折から。ひそかに樣子をうけたまはれば。由良殿御親子郷右衞門殿をはじめとして。故殿の鬱憤散ぜんため。より\/のおぼし召し立ちありとの噂。われらとても御勘當の身といふでもなし。手がかりもとめ 由良殿に對面遂げ。御くはだての連判に 御加へ下さらば 生々世々の面目。貴殿に逢ふも優曇華の。花を咲かせて侍の。一分立ててたまはれかし。古朋輩のよしみ 武士の情け。お頼み申す」と兩手をつき。先非を悔いし男泣き 理。せめてふびんなる。
 彌五郎も朋輩のくやみ道理と思へども。大事をむさと明かさじと。「コレサ\/勘平。はてさて。お手前は身のいひわけに取りまぜて。御くはだてのイヤ連判などとは なんのたはごと。左樣の噂かつてなし。それがしは由良殿より郷右衞門殿へ急ぎの使ひ。先君の御廟所へ。御石碑を建立せんとの催し。しかしわれ\/とても浪人の身の上。これこそ鹽谷判官殿の御石塔と。末の世までも人の口の端にかかるものゆゑ。御用金を集むるその御使ひ。先君の御恩を思ふ人をえり出すため。わざと大事を明かされず。先君の御恩を思はばナナ。合點か\/」と。石碑になぞらへ 大星の。たくみをよそに知らせしは。げに朋輩のよしみなり。「ハアアかたじけない彌五郎殿。なるほど石碑といひたて。御用金の御こしらへある事 とつくにうけたまはりおよび。それがしも何とぞして用金を調へ。それを力に御詑びと 心は千々にくだけども 彌五郎殿。恥づかしや主人の御罰で 今このざま。誰にかうとのたよりもなし。されどもかるが親。與市兵衞と申すは頼もしい。百姓 われ\/夫婦が判官公へ。不奉公をくやみ嘆き。何とぞして元の武士に立ちかへれと。おぢうばともに嘆きかなしむ。これ幸ひ 御邊に逢ひし物語り。段々の子細を語り。元の武士に立ちかへるといひ聞かさば。わづかの田地もわが子のため 何しに否は得もいはじ。御用金を手がかりに 郷右衞門殿までお取り次ぎ。ひとしほ頼み存ずる」と餘儀なきことばに「ムムなるほど。しからばこれより郷右衞門殿まで 右のわけをもはなし。由良殿へ願うてみん。明々日はかならずきつと御返事。すなはち郷右衞門殿の旅宿の所書き」と。渡せば取つて押しいただき。「重々の御世話かたじけなし。何とぞ急に御用金をこしらへ。明々日お目にかからん。それがしがありかお尋ねあらば。この山崎の渡し場を左へ取り。與市兵衞とお尋ねあれば。さつそく相知れ申すべし。夜更けぬ内に早くもお出で。コレこの行く先はなほ物掻。ずいぶんぬかるな」「合點\/。石碑成就するまでは。蚤にもくはさぬこのからだ。御邊も堅固で。御用金のたよりを待つぞ。さらば」「\/」と兩方へ(ヲクリ)立ち別。⌒\れてぞ急ぎ行く。
 またも降りくる雨の足 人の足音とぼ\/と。道は闇路に迷はねど 子ゆゑの闇につく杖も。直ぐなる心堅親仁 一筋道のうしろから。「オオイ\/親仁殿。よい道連れ」と呼ばはつて。斧九太夫が悴定九郎。身の置きどころしらなみや この街道の夜働き。だんびら物を落し差し。「さつきにから呼ぶ聲が。きさまの耳へははひらぬか。この物騷な街道を。よい年をして大膽\/。連れにならう」と向ふへ回り。きよろつく目玉ぞつとせしが さすがは老人。「これは\/ お若いに似ぬ御奇特な。私もよい年をして。一人旅は嫌なれど。サアいづくの浦でも金ほど大切な物はない。去年の年貢に詰り。この中から一家中の在所へ 無心にいたれば。これもびたひらなか才覺ならず。埒の明かぬ所に長居はならず。すご\/一人戻る道」と。半分いはさず「ヤイやかましい。ありさまが年貢の納まらぬ その相談を聞きにはこぬ。コレ親仁殿。おれがいふこと とくと聞かしやれや。マアかうぢやわ。こなたのふところに 金なら四五十兩のかさ。縞の財布にあるのを。とつくりと見つけてきたのぢや。貸して下され。男が手を合はす。定めてきさまもなんぞつまらぬことが。子が難儀におよぶによつてといふやうな。あるかくなことぢやあろ。けれどおれが見込んだら。ハテしよことがないとあきらめて。貸して下され\/」と ふところへ手を差し入れ。引きずり出す縞の財布。「アア申し それは」。「それはとは。これほどここにあるもの」と ひつたくる手に縋りつき。「イエ\/この財布は 跡の在所で草鞋買ふとて。はした錢を出しましたが。あとに殘るは晝食の握り飯。霞亂せんやうにと 娘がくれた和中散。反魂丹でござります。おゆるしなされ下さりませ」と。ひつたくり 逃げ行く先へ立ち回り。「エエ聞きわけのない。むごい料理するが嫌さに。手ぬるういへばつき上がる。サアその金ここへまき出せ。遲いとたつた一討ち」と 二尺八寸拜み打ち「なうかなしや」といふ間もなく から竹割りと切りつくる。刀の回りか手の回りか。はづれる拔身を 兩手にしつかとつかみつき。「どうでもこなた殺さしやるの」。「オオ知れたこと。金のあるのを見てする仕事。小言はかずとくたばれ」と。肝先へ差しつくれば。「マママママまあ待つて下さりませ。ハア是非におよばぬ。なるほど\/。これは金でござります。けれどもこの金は。私がたつた一人の娘がござる。その娘が命にも代へぬ。大事の男がごぎりまする。その男のために要る金。ちとわけあることゆゑ 浪人してゐまする。娘が申しまするは。あのお人の浪人も もとはわしゆゑ。何とぞしてもとの武士にして進ぜたい\/と。嚊とわしとへ毎夜さ頼み。ア身貧にはござりまする。どうもしがくの仕やうもなく。婆といろ\/談合して。娘にものみ込ませ。婿へはかならず沙汰なしと しめし合はせ。ほんに\/親子三人が血の涙の流れる金。それをお前に取られて 娘はなんとなりませう。コレ拜みます 助けて下されませ。お前もお侍の果てさうなが 武士は相身たがひ。この金がなければ。娘も婿も人樣に顏が出されぬ。たつた一人の娘に連れ添ふ婿ぢやもの。ふびんにござる可愛ござる。了簡してお助けなされて下さりませ。エエお前はお若いによつて まだお子もござるまいが。やんがつてお子を持つて御らうじませ。親仁がいひをつたはもつともぢやと おぼし召して。この場を助けさしやつて下さりませ。マア一里行けば私在所。金を婿に渡してから殺されましよ。申し\/ 娘がよろこぶ顏見てから死にたうござります。コレ申しアア。あれ。\/。\/」と呼ばはれど あと先遠く山彦の こだまに。あはれもよほせり。「オオ悲しいこつちやわ。まつととこぼえ。ヤイ老いぼれめ。その金でおれが出世すりや。その惠みでうぬが悴も出世するわやい。人に慈悲すりや惡うは報はぬ。アア可哀や」と。ぐつと突く。うんと手足の七顛八倒。のたくり回るを脛にて蹴返し。「オオいとしや。痛かろけれど おれに恨みはないぞや。金がありやこそ殺せ。金がなけりやなんのいの。金が敵ぢやいとしぼや。南無阿彌陀。南無妙法蓮華經。どちらへなりと失せをろ」と。刀も拔かぬ芋刺しゑぐり。草葉も朱に置く露や。年も六十四苦八苦 あへなく息は絶えにけり。
 しすましたりと件の財布。暗がり耳のつかみよみ。「ヒヤ五十兩。エエ久しぶりの御對面。かたじけなし」と首に引つかけ 死骸をすぐに谷底へ。跳ね込み蹴込む泥まぶれ。はねはわが身にかかるとも 知らず立つたるうしろより。逸散に來る手負ひ緒「これはならぬ」と身をよぎる。驅け來る猪は一文字。木の根岩角踏み立て蹴立て 鼻いからして 泥も草木もひとまくりに飛び行けば。あはやと見送る定九郎が。背骨をかけてどつさりと 肋へ拔ける二つ玉。うんともぎやつともいふ間なく。ふすぼりかへりて死したるは 心地よくこそ見えにけれ。
 緒打ちとめしと勘平は。鐵砲ひつさげここかしこ 探り回りてさてこそと。引つ立つれば猪にはあらず。「ヤア\/こりや人ぢや南無三寶」。仕損じたりと思へど暗き眞の闇。誰人なるぞと問はれもせず。まだ息あらんと抱き起せば 手に當る金財布。つかんで見れば四五十兩。天の與へとおしいただき\/。猪より先へ逸散に飛ぶがごとくに(三重)⌒\急ぎける


第六 財布の連判(與市兵衞住家)

 (三下り歌)「みさき踊りがしゆんだるほどに。親仁出て見やばばんつ。ばばん連れて 親仁出て見やばばんつ」。 麥かつ音の在郷歌。
 所も名に負ふ山崎の小百姓。與市兵衞が埴生の住家。今は早野勘平が。浪々の身の隱れ里。女房おかるは寢亂れし。髮取り上げんと櫛箱の。あかつきかけて戻らぬ夫。待つ間もとけし投げ島田。結ふにいはれぬ身の上を 誰にか。つげの水櫛に。髮の色艷琉きかへし。品よくしやんと結ひ立てしは。在所に惜しき姿なり。
 母の齡も杖つきの。野道とぼ\/立ちかへり。「オオ娘 髮結やつたか。美しうようできた。イヤもう在所はどこもかも麥秋時分で忙しい。今も薮際で若い衆が麥かつ歌に。親仁出て見やばばん連れてとうたふを聞く。親仁殿の遲いが氣にかかり。在口まで行たれど ようなう影も形も見えぬ」。「さいな こりやまあどうして遲いことぢや。わし一走り見てきやんしよ」。「イヤなう 若いをなごの一人歩くはいらぬこと。ことにそなたは小さい時から。在所を歩くことさへ嫌ひで。鹽谷樣へ御奉公にやつたれど。どうでも草深い所に縁があるやら 戻りやつたが。勘平殿と二人ゐやれば おとましい顏も出ぬ」。「オオかか樣の そりやしれたこと。好いた男と添ふのぢやもの。在所はおろか 貧しい暮しでも苦にならぬ。やんがて盆になつて。とさま出て見やかかんつ。かかん連れてといふ歌のとほり。勘平殿とたつた二人。踊り見に行きやんしよ。お前も若い時覺えがあろ」とさし合ひくらぬぐわら娘。氣もわさ\/と見えにける。
 「なんぼそのやうにおもしろをかしう言やつても。心の内はの」。「イエ\/濟んでござんす。ぬしのために祇園町へ。勤め奉公に行くは かねて覺悟のまへなれど。年寄つて父樣の世話やかしやんすが」「そりや言やんな。小身者なれど 兄も鹽谷樣の御家來なれば。ほかの世話するやうにもない」と。親子はなしの中道傳ひ。駕篭を舁かせて急ぎ來るは 祇園町の一文字屋。「ここぢや\/」と門口から。「與市兵衞殿内にか」といひつつはひれば。「これはまあ\/遠いところを。ソレ娘たばこ盆。お茶上げましや」と親子して。槌でお家をはくじんやの亭主。「さて夕べはこれの親仁殿も いかい大儀。別條なう戻られましたか」。「エエさては親仁殿と連れ立つて來はなされませぬか。これはしたり。お前へ行てから今において」。「ヤア戻られぬか」。「ハテ面妖な」。「ハアアもし稻荷前をぶらついて かの玉殿につままりやせぬかの。コレこの中ここへ見に來て極めたとほり。お娘の年も丸五年切り。給銀は金百兩。さらりと手を打つた。これの親仁がいはるるには。今夜中に渡さねばならぬ金あれば。今晩證文をしたため。百兩の金子お貸しなされて下されと。涙をこぼしての頼みゆゑ。證文の上で半金渡し。殘りは奉公人と引き換への契約。なにがその 五十兩渡すとよろこんでいただき。ほた\/いうて戻られたは もう四つでもあらうかい。夜道を一人金持つていらぬものと 留めても開かず戻られたが。ただしは道に」。「イエ\/寄らしやる所は なうかか樣」。「ないとも\/。ことに一時も早う そなたやわしに金見せて。よろこばさうとて。息せきと戻らしやるはずぢやに 合點がいかぬ」。「イヤこれ合點のいくいかぬはそつちの穿鑿。こちはさがりの金渡して。奉公人連れて去の」と。ふところより金取り出し「跡金の五十兩。これで都合百兩。サア渡す 受け取らしやれ」。「お前それでも親仁殿の戻られぬうちは なうかる。わが身はやられぬ」。「ハテぐづ\/と埒の明かぬ。コレぐつともすつともいはれぬ與市兵衞の印形。證文がものいふ。今日から金で買ひ切つたからだ。一日ちがへばれこづつちがふ。どうでかうせざ濟むまい」と手を取つて引つ立つる。「マア\/待つて」と取りつく母親 突き退けはね退け。無體に駕篭へ押し込み\/ 舁き上ぐる門の口。鐵砲に蓑笠打ちかけ戻りかかつて見る勘平。つか\/と内に入り。「駕篭の内なは女房ども こりやマアどこへ」。「オオ勘平殿 よい所へよう戻つて下さつた」と。母のよろこびその意を得ず。「どうでも深いわけがあろ。母者人女房ども。樣子聞かう」とお家のまん中。どつかと坐れば文字の亭主。「フウさてはこなたが奉公人の御亭ぢやの。たとへ夫でもなんでも。なづけの夫などと脇より違亂さまたげ申す者これなく候と。親仁の印形あるからは こちにはかまはぬ。早う奉公人を受け取らう」。「オオ婿殿 合點がいくまい。かねてこなたに金の要る樣子 娘の話で聞いたゆゑ。どうぞ調へて進ぜたいと。いうたばかりで一錢のあてもなし。そこで親仁殿のいはしやるには。ひよつとこなたの氣に女房賣つて金調ようと。よもや思うてではあるまいけれど。もし二親の手前を 遠慮してゐやしやるまいものでもない。いつそこの與市兵衞が 婿殿に知らさず娘を賣らう。まさかの時は切り取りするも侍のならひ。女房賣つても恥にはならぬ。お主の役に立つる金。調へておましたら まんざら腹も立つまいと。昨日から祇園町へ。折り極めに行て 今に戻らしやれぬゆゑ。親子案じてゐる中へ 親方殿が見えて。夕べ親仁殿に半金渡し。跡金の五十兩と引き換へに。娘を連れて去なうというてなれど。親仁殿に逢うてのうへと わけをいうても聞き入れず。今連れて去なしやるところ どうせうぞ勘平殿」。「これは\/先づもつて舅殿の心づかひかたじけない。したがこちにもちつとよいことがあれども それは追つて。親仁殿も戻られぬに 女房どもは渡されまい」。「とはなぜに」。「ハテいはば親なり判がかり。もつとも夕べ半金の五十兩渡されたでもあらうけれど」。「イヤこれ京大坂をまたにかけ。女護の島ほど奉公人をかかへる一文字屋。渡さぬ金を渡したと いうて濟むものかいの。まだそのうへに確かなことがあるてや。これの親仁がかの五十兩といふ金を。手拭ひにぐる\/と卷いて ふところに入れらるる。そりやあぶない これに入れて首にかけさつしやれと。おれが着てゐるこの單物の縞の切れで。こしらへた金財布貸したれば。やんがて首にかけて戻られう」。「ヤアなんと。こなたが着てゐるこの縞の切れの金財布か」。「オオてや」。「あのこの縞でや」。「なんとたしかな證據であらうが」。 聞くよりはつと勘平が 肝先にひしとこたへ。そばあたりに目をくばり 袂の財布見合せば。寸分ちがはぬ絲入り縞 南無三寶。さては夕べ鐵砲で打ち殺したは 舅であつたか。ハアはつとわが胸板を二つ玉で打ち拔かるるより切なき思ひ。とは知らずして女房。「コレこちの人 そは\/せずと。やるものかやらぬものか。分別して下さんせ」。「オオなるほど。ハテもうあのやうに確かにいはるるからは 行きやらずばなるまいか」。「アノとつさんに逢はいでもかえ」。「イヤ\/親仁殿にも今朝ちよつと逢うたが 戻りは知れまい」。「フウそんなりやとつさんに逢うてかえ。それならさうといひもせで かかさんにもわしにも。案じさしてばつかり」といふに 文字も圖に乘つて。「七度尋ねて人疑へぢや。親仁の在所の知れたので そつちもこつちも心がよい。まだこのうへにも四の五のあれば いやともにでんど沙汰。まあ\/さらりと濟んでめでたい。おふくろも御亭も 六條參りしてちと寄らしやれ。サア\/駕篭に早う乘りや」。「アイ\/これ勘平殿もう今あつちへ行くぞえ。年寄つた二人の親たち。どうでこなさんのみんな世話。取りわけてとつさんはきつい持病。氣をつけて下さんせ」と。親の死目をつゆ知らず。頼むふびんさいぢらしさ。いつそ打ち明けありのまま。話さんにも他人ありと 心を。痛め堪へゐる。「オオ婿殿。夫婦の別れ暇乞ひがしたかろけれど。そなたに未練な氣も出よかと 思うてのことであろ」。「イエ\/なんぼ別れても。ぬしのために身を賣れば かなしうもなんともない。わしや勇んで行く かか樣。したが父樣に逢はずに行くのが」。「オオそれも戻らしやつたら つい逢ひに行かしやろぞいの。患はぬやうに灸据ゑて。息災な顏見せに來てたも。鼻紙・扇もなけりや不自由な。なんにもよいか。とばついて怪我しやんな」と。駕篭に乘るまで心をつけ「さらばや」「さらば」。「なんの因果で人竝みな娘を持ち。このかなしい目を見ることや」と。齒をくひしばり泣きければ 娘は駕篭にしがみつき。泣くを知らさじ聞かさじと 聲をも。立てずむせかへる。情けなくも駕篭舁き上げ 道をはやめて急ぎ行く。
 母は跡を見送り\/。「アアよしないこというて 娘もさぞかなしかろ。オオこな人わいの。親の身でさへ思ひ切りがよいに。女房のことぐづ\/思うて。患うて下さんな。この親仁殿はまだ戻らしやれぬことかいなう。こなた逢うたといはしやつたの」。「アアなるほど」。「そりやまあどこらで逢はしやつて。どこへ別れて行かしやつた」。「されば別れたその所は。鳥羽か伏見か淀 竹田」と。口から出次第 めつぽふ彌八。種が島の六 たぬきの角兵衞。所の狩人三人連れ。親仁の死骸に蓑打ち着せて 戸坂に乘せ。どや\/と内に入り。「夜山しまうて戻りがけ これの親仁が殺されてゐられたゆゑ。狩人仲間が連れて來た」と。聞くよりはつとおどろく母。「何者のしわざ。コレ婿殿 殺したやつは何者ぢや 敵を取つて下されなう。コレ親仁殿\/」と。呼べど叫べどその甲斐も なくより。ほかのことぞなき。
 狩人ども口々に。「オオおふくろ かなしかろ。代官所へ願うて 詮議してもらはしやれ。笑止\/」とうち連れて みな\/わが家へ立ち歸る。
 母は涙の。ひまよりも 勘平がそばへさし寄つて。「コレ婿殿。よもや\/。\/\/とは思へども 合點がいかぬ。なんぼ以前が武士ぢやとて。舅の死目見やしやつたら。びつくりもしやるはず。こなた道で逢うた時。金受け取りはさつしやれぬか。親仁殿がなんといはれた。サアいはつしやれ。サアなんと。どうも返事はあるまいがの。ない證據はコレ。ここに」と勘平がふところへ 手を差し入れて引き出すは。さつきにちらりと見ておいたこの財布。「コレ血のついてあるからは。こなたが親仁を殺したの」。「イヤそれは」。「それはとは。エエわごりよはなう。隱しても隱されぬ 天道樣が明らかな。親仁殿を殺して取つた。その金や誰にやる金ぢや。ムウ聞えた。身貧な舅。娘を賣つたその金を。ちゆうで半分くすねておいて。みなやるまいかと思うて。コリヤ殺して取つたのぢやな。今といふ今までも。律儀な人ぢやと思うて。だまされたが腹が立つわいやい。エエここな人でなし。あんまりあきれて涙さへ出ぬわいやい。なう愛しや與市兵衞殿。畜生のやうな婿とは知らず。どうぞ元の侍にしてやりたいと。年寄つて夜も寢ずに 京三界を驅け歩き。珍財を投げうつて 世話さしやつたも。かへつてこなたの身の仇となつたるか。飼ひ飼ふ犬に手をくはるると。ようも\/このやうに むごたらしう殺された事ぢやまで。コリヤここな鬼よ蛇よ。父さまを返せ。親仁殿を生けて戻せやい」と。遠慮會釋もあら男の。髻をつかんで 引き寄せ\/たたきつけ。「づだ\/に切りさいなんだとて これでなんの腹が癒よ」と。恨みのかず\/くどき立て かつぱと伏して。泣きゐたる。身の誤りに勘平も。五體に熱湯の汗を流し。疊にくひつき天罰と。思ひ知つたる折こそあれ。
 深編笠の侍二人「早野勘平在宿をし召さるか。原郷右衞門 千崎彌五郎御意得たし」とおとなへば。折惡けれども勘平は。腰ふさぎ脇ばさんで出迎ひ。「コレハ\/御兩所ともに。見苦しきあばらやへ御出でかたじけなし」と。頭を下ぐれば郷右衞門。「見れば家内に取込みもあるさうな」。「イヤもう瑣細な内證事。おかまひなくとも いざ先づあれへ」。「しからば左樣にいたさん」とずつと通り 座につけば。二人が前に兩手をつき。「このたび殿の御大事にはづれたるは。拙者が重々の誤り。申し開かん言葉もなし。何とぞそれがしが科 御許しをかうむり。亡君の御年忌。諸家中もろとも相つとむるやうに 御兩所の御取りなし。ひとへに頼みたてまつる」と身をへりくだり 述べければ。
 郷右衞門取りあへず。「先づもつてそのはう 貯へなき浪人の身として。多くの金子御石碑料に調進せられし段。由良之助殿はなはだ感じ入られしが。石碑をいとなむは 亡君の御菩提。殿に不忠不義をせしそのはうの金子をもつて。御石碑の料に用ひられんは。御尊靈の御心にもかなふまじとあつて。金子は封のまま相戻さる」と。ことばのうちより彌五郎 懷中より金取り出だし。勘平が前にさし置けば。はつとばかりに氣も顛倒 母は涙ともろともに。「コリヤここな惡人づら。今といふ今 親の罰思ひ知つたか。皆樣も聞いて下され。親仁殿が年寄つて 後生のことは思はず。婿のために娘を賣り。金調へて戻らしやるを待ち伏せして。あのやうに殺して取つた金ぢやもの。天道樣が無くば知らず。なんで御用に立つものぞ。親殺しのいき盜人に。罰をあてて下されぬは。神や佛も聞えぬ。あの不孝者 お前方の手にかけて。なぶり殺しにして下され。わしや腹が立つわいの」と身を投げ。伏して泣きゐたる。聞くにおどろき 兩人刀おつ取り。弓手馬手に詰めかけ\/。彌五郎聲をあららげ。「ヤイ勘平。非義非道の金取つて。身の科の詫びせよとは いはぬぞよ。わがやうな人非人 武士の道は耳に入るまい。親同然の舅を殺し 金を盜んだ重罪人は。大身槍の田樂刺し。拙者が手料理振舞はん」と。はつたとにらめば郷右衞門。「渇しても盜泉の水を飮まずとは 義者のいましめ。舅を殺し取つたる金。亡君の御用金になるべきか。生得汝が不忠不義の根性にて。調へたる金と推察あつて。突き戻されたる由良之助の眼力 あつぱれ\/。さりながら。ハア情けなきは このこと世上に流布あつて。鹽谷判官の家來早野勘平。非義非道を行ひしといはば。汝ばかりが恥ならず。亡君の御恥辱と知らざるか うつけ者。さほどの事のわきまへなき 汝にてはなかりしが。いかなる天魔が見入れし」と。鋭きまなこに涙を浮かめ 事をわけ理を責むれば。たまりかねて勘平。もろ肌おし脱ぎ脇指を。拔くより早く腹にぐつと突き立て。「アアいづれもの手前面目もなき仕合せ。拙者が望みかなはぬ時は 切腹とかねての覺悟。わが舅を殺せしこと 亡君の御恥辱とあれば ひととほり申し開かん。兩人ともに聞いて賜べ。夜前彌五郎殿の御目にかかり。別れて歸る暗まぎれ 山越す猪に出あひ。二つ玉にて打ち留め。驅け寄つて探り見れば。猪にはあらで旅人。南無三寶あやまつたり。藥はなきかと懷中を探し見れば。財布に入れたるこの金。道ならぬ事なれども 天よりわれに與ふる金と。すぐに馳せ行き 彌五郎殿にかの金を渡し。立ち歸つて樣子を聞けば。打ち留めたるはわが舅。金は女房を賣つた金。かほどまですることなすこと。いすかの觜ほどちがふといふも。武運に盡きたる勘平が。身のなりゆき推量あれ」と血ばしる。まなこに無念の涙。子細を聞くより彌五郎ずんど立ち上がり。死骸引き上げ打ち返し「ムウ\/」と疵口改め。「郷右衞門殿これ見られよ。鐵砲疵に似たれども。これは刀でゑぐつた疵。エエ勘平早まりし」と。いふに手負ひも見てびつくり。母もおどろくばかりなり。
 郷右衞門心づき。「イヤコレ千崎殿。アアこれにて思ひ當つたり。御自分も見られしとほり。これへ來る道ばたに。鐵砲受けたる旅人の死骸。立ち寄り見れば斧定九郎。強欲な親九太夫さへ。見限つて勘當したる惡黨者。身のたたずみなきゆゑに。山賊すると聞いたるが 疑ひもなく勘平が。舅を討つたはきやつがわざ」。「エエそんなりや。あの親仁殿を殺したは。ほかの者でござりますかえ」。ハアはつと。母は手負ひに縋り。「コレ手を合はして拜みます。年寄りの愚癡な心から 恨みいうたは皆誤り。こらへて下され勘平殿。かならず死んで下さるな」と。泣き詫ぶれば顏振り上げ。「ただいま母の疑ひも。わが惡名も晴れたれば。これを冥途の思ひ出とし。跡より追つつき舅殿。死出三途を伴はん」と。突つ込む刀引き回せば「アアしばらく\/。思はずもそのはうが舅の敵討つたるは。いまだ武運に盡きざるところ。弓矢神の御惠みにて。一功立つたる勘平。息のあるうち郷右衞門が ひそかに見する物あり」と。懷中より一卷を取り出だし。さら\/と押し開き。「このたび亡君の敵。高師直を討ち取らんと 神文を取りかはし。一味徒黨の連判かくのごとし」と。讀みも終らず苦痛の勘平。「その姓名は誰々なるぞや」。「オオ徒黨の人數は四十五人。汝が心底見とどけたれば。その方をさし加へ 一味の義士四十六人。これを冥途のみやげにせよ」と。懷中の矢立取り出だし 姓名を書きしるし。「勘平血判」。「心得たり」と腹十文字にかき切り。臟腑をつかんでしつかと押し。「サア血判つかまつつた。アアかたじけなやありがたや。わが望み達したり。母人嘆いて下さるな。舅の最期も。女房の奉公も。反古にはならぬこの金。一味徒黨の御用金」と。いふに母も涙ながら。財布とともに二つつみ 二人が前に差し出だし。「勘平殿の魂の入つたこの財布。婿殿ぢやと思うて。敵討ちのお供に連れてござつて下さりませ」。「オオなるほどもつともなり」と郷右衞門金取り納め。「思へば\/この金は 縞の財布の紫摩黄金。佛果を得よ」といひければ。「アア佛果とはけがらはし。死なぬ\/。魂魄この土にとどまつて。敵討ちの御供する」と。いふ聲もはや四苦八苦。母は涙にかきくれながら「ナウ勘平殿。このことを娘に知らし。せめて死目に逢はしてやりたい」。「イヤ\/\/親の最期は格別。勘平が死んだこと かならず知らして下さるな。お主のために賣つたる女房。このこと聞いて不奉公せば。お主に不忠するも同然。ただそのままにさし置かれよ。サア思ひ置くことなし」と。刀の切先 咽にぐつと刺しつらぬき かつぱと伏して息絶えたり。「ヤアもう婿殿は死なしやつたか。さても\/世の中に おれがやうな因果な者が またと一人あらうか。親仁殿は死なしやる 頼みに思ふ婿を先立て。いとし可愛いの娘には生き別れ。年寄つたこの母が 一人殘つてこれがマア。なんと生きてゐられうぞ。コレ親仁殿與市兵衞殿。おれも一所に連れて行て下され」と。取りついては泣き叫び。また立ち上がつて「コレ婿殿。母もともに」と縋りついては伏ししづみ。あちらでは泣き こちらでは泣き。わつとばかりにどうど伏し。聲をはかりに嘆きしは 目も當て。られぬ次第なり。
 郷右衞門突つ立ち上がり。「ヤアこれ\/老母。嘆かるるは理なれども。勘平が最期の樣子。大星殿にくはしく語り。入用金手渡しせば滿足あらん。首にかけたるこの金は。婿と舅の七々日。四十九日や五十兩。合はせて百兩 百ケ日の追善供養。跡ねんどろに弔はれよ さらば\/」。「おさらば」と見送る涙。見返る涙 涙の。波の立ち歸る 人も。はかなき(三重)


第七 大臣の錆刀(一力茶屋)

 (歌)花に遊ばば祇園あたりの色ぞろへ。東方南方北方西方。彌陀の淨土か 塗りに塗り立てぴつかりぴか\/。光り輝く白や藝妓にいかな粹めも。うつつぬかして。ぐどんどろつくどろつくや ワイワイノワイトサ  [百]「誰そ頼まう。亭主はゐぬか。亭主\/」。[友]「これは忙しいわ。どいつ樣ぢや。どなた樣ぢや。エ斧九太樣。御案内とはけうとい\/」。[百]「イヤはじめてのお方を同道申した。きつう取込みさうに見えるが。一つ上げます座敷があるか」。[友]「ござりますとも。今晩はかの由良大臣の御趣向で。名ある色たちをつかみ込み。下座敷はふさがつてござりますれど。亭座敷があいてござります」。[百]「そりやまた蜘蛛の巣だらけであらう」。[友]「また惡口を」。[百]「イヤサよい年をして。女郎の蜘蛛の巣にかからまい用心」。[友]「コリヤきついわ。下におかれぬ二階座敷。ソレ燈をともせ仲居ども。お杯おたばこ盆」と。高い調子に枷かけて 奧はさわぎの太鼓三昧。[百]「ナント伴内殿。由良之助がてい御らうじたか」。[信]「九太夫殿。ありやいつそ氣ちがひでござる。だん\/貴樣より御内通あつても。あれほどにあらうとは。主人師直も存ぜず。拙者に罷りのぼつて見とどけ。心得ぬことあらば。さつそくに知らせよと申しつけましたが。さて\/\/我も偏私も折れましてござる。悴力彌めはなんといたしたな」。[百]「こいつも折ふしこの所へ參り ともに放埒。差し合ひ繰らぬが不思議の一つ。今晩は底の底を探し見んと。心だくみをいたして參つた。密々におはなし申さう。いざ二階へ」。[信]「先づ\/」。[百]「しからばかうお出で」。(三下り歌)實は心に。思ひはせいで あだな。惚れた\/の口先は いかい。つやでほあるわいな [信]「彌五郎殿。喜多八殿。これが由良之助殿の遊び茶屋。一力と申すのでござる。コレサ平右衞門。よい時分に呼び出さう。勝手に控へておゐやれ」。[政]「かしこまりました。よろしう頼み上げます」。[信]「誰ぞちよと頼みたい」。[友]「アイ\/どなさんぢやえ」。[信]「イヤわれ\/は由良殿に用事あつて參つた。奧へ行ていはうには。矢間十太郎。千崎彌五郎。竹森喜多八でござる。この間より節々迎ひの人を遺はしますれども。お歸りのないゆゑ。三人連れで參りました。ちと御相談申さねばならぬ儀がござるほどに。お逢ひなされて下されと きつと申してくれ」。[友]「それはなんとも氣の毒でござんす。由良さんは三日このかた飮み續け。お逢ひなされてから たわいはあるまい。本性はないぞえ」。[信]「ハテさてまあさういうておくりやれ」。[友]「アイ\/」。[信]「彌五郎殿 お聞きなされたか」。[文]「うけたまはつて驚き入りました。はじめのほどは敵へ聞かする計略と存じましたが。いかう遊びに實が入りすぎまして。合點が參らぬ」。[百]「なんとこの喜多八が申したとほり。魂が入れ替つてござらうがの。いつそ一間へ踏ん込み」。[信]「イヤ\/とくと面談いたしたうへ」。[文]「なるほど。しからばこれに待ちませう」。[友]「手の鳴る方へ。\/。\/」。[此]「捕まよ。\/」。[友]「由良鬼や待たい。\/」。[此]「捕まへて酒飮まそ。\/。コリヤ捕まへたわ。サア酒酒。銚子持て\/」。[信]「イヤコレ由良之助殿。矢間十太郎でござる。こりやなんとなさるる」。[此]「南無三寶。しまうた」。[友]「オオ氣の毒なんと榮えさん。ふし食たやうなお侍さん方。お連れさんかいな」。[文]「さあれば。お三人ともこはい顏して」。[信]「イヤコレ女郎たち。われ\/は大星殿に用事あつて參つた。しばらく座を立つてもらひたい」。[友]「そんなことでありそなもの。由良さん奧へ行くぞえ。お前も早うお出で。皆さんこれにえ」。[信]「由良之助殿。矢間十太郎でござる」。[百]「竹森喜多八でござる」。[文]「千崎彌五郎御意得に參つた お目さまされませう」。[此]「これは打ちそろうてようお出でなされた。なんと思うて」。[信]「鎌倉へ打つ立つ時候はいつごろでござるな」。[此]「さればこそ。大事のことをお尋ねなれ。丹波與作が歌に。(歌)江戸三界へ行かんして  ハハハハハ御免候へ たわい\/」。三人「ヤア酒の醉ひ本性たがはず。性根がつかずば三人が。酒の醉ひをさまさしませうかな」。[政]「ヤレ聊爾なされまするな。はばかりながら平石衞門めが。一言申し上げたい儀がござります。しばらくお控へ下されませう。由良之助樣。寺岡平石衞門めでござります。御機嫌のていを拜しまして。いかばかり大悦に存じたてまつります」。[此]「フウ寺岡平石とは。エエなんでえすか。前かど北國へお飛脚に行かれた。足のかるい足輕殿か」。[政]「左樣でござります。殿樣の御切腹を 北國にてうけたまはりまして。南無三寶と 宙を飛んで歸りまする道にて。お家も召し上げられ。一家中ちり\/と。うけたまはつた時の無念さ。奉公こそ足輕なれ。御恩は變らぬお主の仇。師直めを一討ちと 鎌倉へ立ち越え。三が月が間非人となつて つけねらひましたれども。敵は用心きびしく 近寄ることもかなひませず。しよせん腹掻つさばかんと存じましたが。國元の親のことを思ひ出しまして。すご\/歸りました。ところに。天道樣のお知らせにや。いづれも樣方の一味連判の 樣子うけたまはりますると。ヤレうれしやありがたやと。取るものも取りあへず。あなた方の旅宿を尋ね。ひたすらお頼み申し上げましたれば。でかしたういやつぢや。お頭へ願うてやろとおことばに縋り。これまで推參つかまつりました。師直屋敷の」。[此]「アこれ\/\/。アそこもとは足輕ではなうて。大きな口輕ぢやの。なんと太鼓持ちなされぬか。もつともみたくしも。蚤の頭を斧で割つたほど 無念なとも存じて。四五十人一味をこしらへて見たが。ア味なことの。よう思うて見れば。仕損じたらこのはうの首がころり。仕おほせたら跡で切腹。どちらでも死なねばならぬ。といふは人參飮んで首くくるやうなもの。ことにそこもとは五兩に三人扶持の足輕。お腹は立てられな。はつち坊主の報謝米ほど取つてゐて。命を捨てて敵討ちせうとは。そりや青海苔もらうた禮に。太々神樂を打つやうなもの。われら知行千五百石。貴樣とくらべると。敵の首を斗升で量るほど取つても 釣り合はぬ\/。ところでやめた。ナ聞えたか。とかく浮世はオンドかうしたものぢや。つつてん\/\/。   なぞと彈きかけたところはたまらぬ\/」。[政]「これは由良之助樣のおことばともおぼえませぬ。わづか三人扶持取る拙者めでも。千五百石の御自分樣でも。つなぎました命は一つ。御恩に高下はござりませぬ。押すに押されぬはお家の筋目。殿の御名代もなされまする。歴々樣方へ見るかげもないわたくしめが。差し加へてとお願ひ申すは。はばかりとも慮外とも。ほんの猿が人まね。お草履をつかんでなりとも。お荷物をかついでなりとも參じませう。お供に召し連れられて。ナ。申し。コレ。申し。\/。これはしたり 寢てござるさうな」。[百]「コレサ平石衞門。あつたら口に風ひかすまい。由良之助は死人も同然。矢間殿。千崎殿。モウ本心は見えましたか。申し合はせたとほり計ひませうか」。[文]「いかさま。一味連判の者どもへの見せしめ。いざいづれも」と立ち寄るを。[政]「ヤレしばらく」と平石衞門押しなだめ そばにより。「つく\/思ひ回しますれば。主君にお別れなされてより。仇を報はんとさま\/の難難。木にも萱にも心をおき。人のそしり無念をば。じつと堪へてござるからは。酒でも無理に參らずば。これまで命も續きますまい。醒めての上の御分別」と。無理に押へて三人を。[三人]伴ふ一間は善惡の。あかりを照らす障子の内 影を隱すや[友]⌒\月の入る。
 山科よりは一里半 息を切つたる摘子力彌。内をすかして正體なき父が寢姿。起すも人の耳近しと 枕元に立ち寄つて。轡に代る刀の鍔音。鯉口ちやんと打ち鳴らせば。[此]むつくと起きて「ヤア力彌か。鯉口の音ひびかせしは。急用あつてか ひそかに\/」。[友]「ただいま御臺かほよ樣より。急のお飛脚密事の御状」。[此]「ほかに御口上はなかつたか」。[友]「敵高師直歸國の願ひかなひ。きん\/本國へ罷り歸る。委細の儀はお文との御口上」。[此]「よし\/。そのはうは宿へ歸り。夜の内に迎ひの駕篭 行け\/」。[友]はつとためらふひまもなく 山科さして引つ返す。
 [此]先づ樣子氣づかひと 状の封じを切るところへ。[百]「大星殿。由良殿。斧九太夫でござる。御意得ませう」と聲かけられ。[此]「これは久しや\/。一年も逢はぬうち。寄つたぞや\/。額にその皺伸ばしにお出でか。アノここな莚破りめが」。[百]「イヤ由良殿。大功は細瑾をかへりみずと申すが。人のそしりもかまはず 遊里の遊び。大功を立つるもとゐ。あつぱれの大丈夫 末頼もしう存ずる」。[此]「ホオオこれは堅いわ\/。石火矢と出かけた。さりとてはおかれい」。[百]「イヤア由良之助殿とぼけまい。まこと貴殿の放埒は」。[此]「敵を討つ手だてと見えるか」。[百]「おんでもないこと」。[此]「かたじけない。四十に餘つて色狂ひ。ばか者よ。氣ちがひよと。笑はれうかと思うたに。敵を討つ手だてとは九太夫殿。ホホウうれしいうれしい」。[百]「スリヤそこもとは。主人鹽谷の仇を報ずる所存はないか」。[此]「けもないこと\/。家國を渡す折から。城を枕に討死というたのは。御臺樣への追從。時に貴樣が。上へ對して朝敵同然と。その場をついと立つた。われらはあとにと。しやちばつてゐた。いかいたはけの。ところでしまひはつかず。御墓へ參つて切腹と。裏門からこそ\/\/。いまこの安樂な樂しみするも 貴殿のおかげ。むかしのよしみは忘れぬ\/。堅みをやめてくだけをれ\/」。[百]「いかさまこの九太夫も。むかし思へば信太の狐。ばけあらはして一獻酌まうか。サア由良殿。久しぶりだお杯」。[此]「また頂戴と會所めくのか」。[百]「差しをれ飮むわ」。[此]「飮みをれ差すわ」。[百]「ちやうど受けをれ 肴をするわ」とそばにありあふ蛸肴。はさんでずつと差し出せば。[此]「手を出して。足をいただく蛸肴。かたじけない」といただいて食はんとする。[百]手をじつととらへ。「コレ由良之助殿。明日は主君鹽谷判官の御命日。取りわけ逮夜がたいせつと申すが。見事その肴貴殿は食ふか」。[此]「たべる\/。ただし主君鹽谷殿が。蛸になられたといふ便宜があつたか。エ愚癡な人ではある。こなたやおれが浪人したは。判官殿が無分別から。スリヤ恨みこそあれ 精進する氣微塵もごあらぬ。おこころざしの肴 賞翫いたす」となにげもなく。ただ一口に味はふ風情。[百]邪智深き九太夫も あきれて。ことばもなかりける。[此]「さてこの肴では飮めぬ\/。鷄締めさせ 鍋燒きさせん。そこもとも奧へお出で。女郎どもうたへ\/」と。[百](謠)足元もしどろもどろの浮き拍子。テレツク\/ツツテン\/。「おのれ末社ども。めれんになさでおくべきか」と。さわぎに。まざれ入りにける。
 [信]始終を見とどけ鷺坂伴内。二階より降り立ち。「九太夫殿 子細とつくと見とどけ申した。主の命日に 精進さへせぬ根性で。敵討ち存じもよらず。このとほり主人師直へ申し聞け。用心の門を開かせませう」。[百]「なるほど もはや御用心におよばぬこと」。[信]「これさ まだここに。刀を忘れて置きました」。[百]「ほんにまことに大馬鹿者の證據。たしなみの魂見ましよ。さて錆びたりな赤鰯」。[信]「ハハハハハハハ」。[百]「いよ\/本心あらはれ 御安堵\/。ソレ九太夫が家來 迎ひの駕篭」。[信]「はつ」と答へて持ち出づる。[百]「サア伴内殿お召しなされ」。[信]「先づ。御自分は老體 ひらに\/」。[百]「しからば御免」と乘り移る。[信]「イヤ九太殿。うけたまはればこの所に。勘平が女房がつとめてをると開きました。貴殿には御存じないか。九太夫殿。\/」といへど答へず「コハ不思議」と。駕篭の簾を引き明くれば。内には手ごろの庭の飛石。「コリヤどうぢや。九太夫は松浦佐用姫をやられた」と。見回すこなたの縁の下より。[百]「コレ\/伴内殿。九太夫が駕篭拔けの計略は。最前力彌が持參せし書簡が心許なし。樣子見とどけ 跡より知らさん。やはりわれらが歸るていにて。貴殿はその駕篭にひつ添うて」。[信]「合點がてん」とうなづき合ひ。駕篭には人のあるていに 見せてしづ\/立ち歸る。
 [文]をりに二階へ。勘平が妻のおかるは醉ひさまし。はや里馴れて吹く風に。憂さを晴らしてゐる所へ。[此]「ちよと行てくる。由良之助ともあらう侍が。大事の刀を忘れて置いた。つい取つてくるその間に 掛物もかけ直し。爐の炭もついでおきや。アアそれ\/\/。こちらの三味線踏み折るまいぞ。これはしたり。九太は去なれたさうな。(三下り歌)父よ母よと泣く聲聞けば。妻に鸚鵡の。うつせし言の葉。エエなんぢやいな おかしやんせ」。 [此]あたり見回し。由良之助。釣燈篭のあかりを照らし。讀む長文は御臺より敵の樣子こま\/と。をなごの文の跡や先。參らせ候で。はかどらず。[文]よその戀よとうらやましく おかるは上より見おろせど。夜目遠目なり字性もおぼろ。思ひついたるのべ鏡。出してうつして讀み取る文章。[百]下屋よりは九太夫が。繰りおろす文月影に。すかし讀むとは。[文]神ならずほどけかかりし おかるが簪。ばつたり落つれば。[此]下にははつと 見上げてうしろへ隱す文。[百]縁の下にはなほ笑壷。[文]上には鏡の影隱し。「由良さんか」。[此]「おかるか。そもじはそこに何してぞ」。[文]「わたしやお前にもりつぶされ。あんまり辛さに醉ひさまし。風に吹かれてゐるわいな」。[此]「ムウ。はてなう。よう風に吹かれてぢやの。イヤかる。ちとはなしたいことがある。屋根越しの天の川でここからはいはれぬ。ちよつと下りてたもらぬか」。[文]「はなしたいとは頼みたいことかえ」。[此]「まあそんなもの」。[文]「回つて來やんしよ」。[此]「いや\/。段梯子へ下りたらば。仲居が見つけて酒にせう。アアどうせうな。アアコレ\/幸ひここに九つ梯子。これを踏まへて下りてたも」と。小屋根にかければ。[文]「この梯子は勝手がちがうて。オオ恐。どうやらこれはあぶないもの」。[此]「大事ない\/。あぶないこはいはむかしのこと。三間づつまたげても。赤膏藥もいらぬ年輩」。[文]「阿呆いはんすな。船に乘つたやうでこはいわいな」。[此]「道理で船玉樣が見える」。[文]「オオのぞかんすないな」。[此]「洞庭の秋の月樣を拜みたてまつるぢや」。[文]「イヤモウそんなら下りやせぬぞ」。[此]「下りざ下ろしてやろ」。[文]「アレまた惡いことを」。[此]「やかましい 生娘かなんぞのやうに。逆縁ながら」とうしろより じつと。抱きしめ抱きおろし。「なんとそもじは御らうじたか」。[文]「アイいいえ」。[此]「見たであろ\/」。[文]「アイなんぢややら おもしろさうな文」。[此]「あの上からみな讀んだか」。[文]「オオくど」。[此]「ア身のうへの大事とこそはなりにけり」。[文]「なんの事ぢやぞいな」。[此]「なんの事とはおかる。古いが惚れた。女房になつてたもらぬか」。[文]「おかんせ 嘘ぢや」。[此]「サ嘘から出た眞でなければ根が遂げぬ。應と言や\/」。[文]「イヤいふまい」。[此]「なぜ」。[文]「お前のは嘘から出た眞ぢやない。眞から出た嘘ぢや」。[此]「おかる 請け出さう」。[文]「エエ」。[此]「嘘でない證據に。今宵のうちに身請けしよう」。[文]「ムウいやわしには」。[此]「間夫があるなら添はしてやろ」。[文]「そりやまあほんかえ」。[此]「さぶらひ冥利。三日なりとも圍うたら それからは勝手次第」。[文]「ハアアうれしうござんす といはしておいて笑おでの」。[此]「いやすぐに亭主に金渡し。今の間に埒ささう。氣づかひせずと待つてゐや」。[文]「そんならかならず待つてゐるぞえ」。[此]「金渡して來る間。どつちへも行きやるな。女房ぢやぞ」。[文]「それもたつた三日」。[此]「それ合點」。[文]「かたじけなうござんす」。(三下り歌)世にも因果な者ならわしが身ぢや。可愛い男に。幾瀬の思ひ。エエなんぢやいなおかしやんせ 忍び音に鳴く。小夜千鳥 [文]奧でうたふも身の上と おかるは。思案とりどりの。
 [政]をりに出で合ふ平右衞門。「妹でないか」。[文]「ヤア兄さんか。恥づかしい所で逢ひました」と顏を隱せば。[政]「苦しうない。關東より戻りがけ。母人に逢うてくはしく聞いた。夫のためお主のため。よく賣られた でかした\/」。[文]「さう思うて下さんすりやわしやうれしい。したがまあ よろこんで下さんせ。思ひがけなう今宵請け出さるるはず」。[政]「それは重疊。何人のお世話で」。[文]「お前も御存じの 大星由良之助樣のお世話で」。[政]「なんぢや由良之助殿に請け出される。それは下地からのなじみか」。[文]「なんのいな。この中より二三度酒の相手。夫があらば添はしてやろ。ひまがほしくばひまやろと。結構すぎた身請け」。[政]「さてはそのはうを。早野勘平が女房と」。[文]「イエ知らずぢやぞえ。親夫の恥なれば。明かしてなんの言ひませう」。[政]「ムウすりや本心放埒者。お主の仇を報ずる所存はないにきはまつたな」。[文]「イエ\/これ兄さん。あるぞえ\/。高うはいはれぬ。コレ」かう\/とささやけば。[政]「ムウすりや その文をたしかに見たな」。[文]「殘らず讀んだそのあとで。互ひに見合ふ顏とかほ。それからじやらつき出して つい身請けの相談」。[政]「アノその文殘らず讀んだあとで」。[文]「アイナ」。[政]「ムウ。それで聞えた。妹。とてものがれぬ命。身どもにくれよ」と拔討ちにはつしと切れば。[文]ちやつと飛び退き。「コレ兄さん。わしには何あやまり。勘平といふ夫もあり。きつと二親あるからは こなさんのままにもなるまい。請け出されて親夫に。逢はうと思ふがわしや樂しみ。どんなことでも謝らう。許して下んせ許して」と。手を合はすれば。[政]平石衞門。拔身を捨ててどうど伏し 悲嘆の。涙にくれけるが。「可哀や味 なんにも知らぬな。親與市兵衞殿は六月二十九日の夜。人に切られてお果てなされた」。[文]「ヤアそれはまあ」。[政]「コリヤまだびつくりすな。請け出され添はうと思ふ勘平も。腹切つて死んだわやい」。[文]「ヤア\/\/それはまあほんかいの。コレなう\/」と取りついてわつとばかりに泣き沈む。[政]「オオ道理\/。樣子話せば長いこと。おいたはしいは母者人。いひだしては泣き。思ひ出しては泣き。娘かるに聞かしたら 泣き死するであろ。かならずいうてくれなとのお頼み。いふまいと思へども。とても逃れぬそちが命。そのわけは。忠義一途に凝りかたまつた由良之助殿。勘平が女房と知らねば 請け出す義理もなし。もとより色にはなほふけらず。見られた状が一大事 請け出し刺し殺す。思案のそこと たしかに見えた。よしさうなうても壁に耳。ほかより洩れてもそのはうが科。密書をのぞき見たるが誤り 殺さにやならぬ。人手に掛きよよりわが手に掛け。大事を知つたる女。妹とて許されずと。それを功に連判の。數に入つてお供に立たん。小身者の悲しさは 人にすぐれた心底を。見せねば數に入れられぬ。聞きわけて命をくれ 死んでくれ妹」と。事を分けたる兄のことば。[文]おかるは始終せき上げ\/。「便りのないは身の代を。役に立てての旅立ちか。暇乞ひにも見えそなものと。恨んでばつかりをりました。もつたいないが父樣は 非業の死でもお年の上。勘平殿は三十に なるやならずに死ぬるのは さぞ悲しかろ口惜しかろ。逢ひたかつたであらうのに。なぜ逢はせては下さんせぬ。親夫の精進さへ 知らぬはわたしが身の因果。なんの生きてをりませう。お手に掛からばかかさんが お前をお恨みなされましよ。自害したそのあとで。首なりと死骸なりと。功に立つなら功にさんせ。さらばでござる兄樣」といひつつ刀取りあぐる。[此]「やれ待てしばし」と とどむる人は由良之助。[政]はつとおどろく平右衞門。[文]おかるは「放して殺して」と。[此]あせるをおさへて。「ホウ兄妹ども 見上げた 疑ひ晴れた。兄は東の供を許す。妹はながらへて。未來への追善」。[文]「サアその追善は冥途の供」と。[此]もぎ取る刀をしつかと持ち添へ。「夫勘平連判には加へしかど。敵一人も討ち取らず。未來で主君にいひわけあるまじ。そのいひわけはコリヤここに」と。ぐつと突つ込む疊の透間。[百]下には九太夫肩先縫はれて 七轉八倒。[此]「それ引き出せ」の。[政]下知より早く縁先飛び下り平右衞門。朱に染んだからだをば無二無三に引きずり出し。「ヒヤア九太夫め ハテよい氣味」と引つ立てて。目通りへ投げつくれば。[此]起き立たせもせず由良之助。髻をつかんでぐつと引き寄せ。「獅子身中の蟲とはおのれがこと。わが君より高知をいただき。莫大の御恩を着ながら。敵師直が犬となつて。あることない事よう内通ひろいだな。四十餘人の者どもは。親に別れ子に離れ。一生連れ添ふ女房を 君傾城のつとめをさするも。亡君の仇を報じたさ。寢覺めにもうつつにも。御切腹の折からを 思ひ出しては無念の涙。五臟六腑を絞りしぞや。とりわけ今宵は殿の逮夜。口にもろ\/の不淨をいうても。愼みに愼みを重ぬる由良之助に。よう魚肉をつきつけたなア。いやといはれず おうといはれぬ胸の苦しさ。三代相恩のお主の逮夜に。咽を通したその時の心。どのやうにあらうと思ふ。五體も一度に惱亂し。四十四の骨々も 碎くるやうにあつたわやい。ヘエエ獄卒め 魔王め」と。土にすりつけ捻ぢつけて 無念。涙にくれけるが。「コリヤ平石衞門。最前錆刀を忘れ置いたは。こいつをばなぶり殺しといふ知らせ。命取らずと苦痛させよ」。[政]「かしこまつた」と拔くより早く。をどり上がり飛び上がり。切れどもわづか二三寸。明き所もなしに疵だらけ。[百]のたうち回つて。「平右殿。おかる殿。詫びして賜べ」と手を合はせ。以前は足輕づれなりと。目にもかけざる寺岡に 三拜するぞ見苦しき。[此]「この場で殺さばいひわけむつかし。喰ひ醉うたていにして。館へ連れよ」と羽織うち着せ疵の口。[信]隱れ聞いたる矢間 千崎 竹森が。障子ぐわらりと引き明け。[三人]「由良之助殿 段々謝り入りましてござります」。[此]「それ平右衞門。喰ひ醉うたその客に。加茂川で。ナ。水雜炊を喰はせい」[政]「ハア」[此]「イケ」


第八 道行旅路の嫁入

 浮世とは。誰がいひそめて。飛鳥川。ふちも知行も瀬と變り。よるべもなみの下人に。結ぶえんやの誤りは。戀の枷杭加古川の。娘小浪がいひなづけ 結納も。取らずそのままに 振り捨てられしもの思ひ。母の思ひは山科の 婿の力彌を力にて住家へおして嫁入りも。世にありなしの義理遠慮 腰元連れず乘物も。やめて親子の二人連れ。都の⌒\空に。こころざす。雪の肌も。寒空は。寒紅海の色添ひて。手先おぼえず凍え坂。薩土垂峠に。さしかかり見返れば。富士のけぶりの。空に消え行方も知れぬ思ひをば。晴らす嫁入の。門火ぞと。祝うてみほの松原に 續く。竝松術道を せましと打つたる行列は。誰と知らねど⌒\うらやまし。△アア世が世ならあのごとく。一度の晴れと花かざり。[二人]伊達をするがの府中過ぎ。城下。過ぐれば氣散じに。母の心もいそ\/と。△二世の杯濟んでのち。閨の睦言ささめごと。親知らず子知らずと。蔦の細道。もつれ合ひ。うれしからうと手を引けば。○アノ母樣の差し合ひを わきへこかして鞠子川。宇津の山べのうつつにも。殿御はじめの新枕。せとの染飯こはいやら。恥づかしいやらうれしいやら 案じて胸もおほゐ川。水の流れと人ごころ。もしや心は變らぬか。日陰に花は咲かぬかと。いうてしま田の憂さ晴らし。二人わが身の上を。かくとだに。人しらすかの 橋越えて行けば吉田や赤坂の。まねく女の聲そろへ。(二上り歌)縁を結ばば清水寺へ參らんせ。音羽の瀧にざんぶりざ 毎日さういうて拜まんせ さうぢやいな。紫色雁高我開令入給。神樂太鼓にヨイコノエイ。こちの晝寢をさまされた。都殿御に 逢うて辛さが語りたやソウトモ\/。もしも女夫とかかさま。ならば 伊勢さんの引き合はせ。  ひなびた歌も。身に取りて。よい吉相になるみ潟。熱田の社あれかとよ。七里の渡し帆を上げて 櫓拍子そろへてヤツシツシ。楫取る音は。すず蟲か いや。きり\/す。鳴くや霜夜と詠みたるは。小夜更けてこそくれまでと。かぎりある舟急がんと母が走れば。娘も走り 空の。霰に笠おほひ。船路のともの。後や先 庄野・龜山せきとむる。伊勢と東の別れ道。驛路の鈴の鈴鹿越え。間の土山。雨が降る みな口のはに。いひはやす。石部・石場で大石や。小石ひろうてわが夫と なでつ。さすりつ手に据堀ゑて。やがて大津や三井寺の。ふもとを越えて山科へ ほどなき。里へ(三重)⌒\いそぎ行く


第九 山科の雪轉(山科閑居)

 風雅でもなく。洒落でなく。せうことなしの山科に。由良之助が佗び住居。祇園の茶屋に昨日から 雪の夜あけし朝戻り。太鼓・仲居に送られて 酒が。ほたえる雪こかし 雪はこけいで雪こかされ。人體捨てし遊びなり。
 「旦那 申し旦那。お座敷の景ようござります。お庭の薮に雪持つてとなつた所。とんと繪に描いたとほり。けうといぢやないか なうおしな」。「サアこの景を見て。ほかへはどつちへも行きたうはござりますまいがな」。「ヘツ朝夕に見ればこそあれ住吉の。岸の向ひの淡路島山 といふこと知らぬか。自慢の庭でも 内の酒は飮めぬ\/。エエとほらぬやつ\/。サア\/奧へ\/ 奧はどこにぞお客がある」と。先に立つて飛石の。ことばもしどろ足取りも しどろに。見ゆる酒機嫌。「お戻りさうな」と女房の おいしが輕う汲んで出る。茶屋の茶よりも氣の端香。「お寒からう」と悋氣せぬ ことばの鹽茶醉ひざまし。
 一口飮んであと打ち明け。「エ奧 無粹なぞや\/。せつかくおもしろう醉うた酒 さませとは。アアアアア降つたる雪かな。(文彌)いかによその和郎たちが さぞ悋氣とや見給ふらん。それ雪は打綿に似て飛んで中入れとなり。奧はかか樣といへば とつと世帶じむといへり。加賀の二布へお見舞の  おそいは御用捨。伊勢海老と杯。穴の稻荷の玉垣は。赤うなければ信がさめるといふやうな物かい。オイこれ\/\/。こぶら返りぢや 足の大指おつた\/。おつとよし\/。ついでにかうぢや」と足先で。「アアこれほたえさしやんすな たしなましやんせ。酒が過ぎるとたわいがない。ほんに世話でござらうの」とものやはらかにあひしらふ。
 力彌心得奧より立ち出で。「申し\/母人。親仁樣は御寢なつたか。これ上げられい」と差し出だす 親子が所作を塗り分けても。下地は同じきり枕。「オオオオ應」は夢うつつ。「イヤもう皆去にやれ」。「ハイ\/\/。そんならば旦那へよろしう」。若旦那ちと御出でを 目づかひで 去に際惡う歸りける。
 聲聞えぬまで行き過ぎさせ。由良之助枕を上げ。「ヤア力彌。遊興に事寄せ丸めたこの雪。所存あつての事ぢやが なんと心得たぞ」。「ハツ雪と申す物は。降る時にはすこしの風にも散り。輕い身でござりませうとも。あのごとく一致して丸まつた時は。峰の吹雪に岩をも碎く大石同然。重いは忠義。その重い忠義を思ひ丸めた雪も。あまり日數を延べ過しては と思し召しての」。「イヤ\/。由良之助親子。原郷右衞門など四十七人連判の人數は。ナみな主なしの日陰者。日陰にさへ置けばとけぬ雪。せく事はないといふこと。ここは日當り 奧の小庭へ入れておけ。螢を集め雪を積むも 學者の心長きためし。女ども。切戸内から明けてやりやれ。堺への状認めん。飛脚が來たらば知らせいよ」。「アイ\/」間の切戸の内。雪こかしこみ戸を立つる(ヲクリ)襖。⌒\引き立て入りにける。
 人の心の奧深き 山科の隱れ家を。尋ねてここに來る人は。加古川本藏行國が女房戸無願。道の案内の乘物を かたへに待たせただ一人。刀脇差さすがげに 行儀亂さず。庵の戸口。「頼みませう。\/」といふ聲に。たすきはづして飛んで出る。むかしの奏者今のりん。「どうれ」といふもつかうどなる。「ハツ大星由良之助樣お宅はこれかな。左樣ならば。加古川本藏が女房戸無瀬でござります。まことにそののちは打ち絶えました。ちとお目にかかりたい樣子につき はる\/參りましたと。傳へられて下され」と。いひ入れさせて表の方。「乘物これへ」と舁き寄せさせ。
 「娘ここへ」と呼び出せば。谷の戸明けてうぐひすの 梅見つけたるほほゑがほ ま深に。着たる帽子のうち。「アノ力彌樣のお屋敷はもうここかえ。わしや恥づかしい」となまめかし。
 取り散らす物片づけて。「先づお通りなされませ」と。下女が傳へる口上に。「駕篭の者みな歸れ。御案内頼みます」といふも いそいそ娘の小浪。母につきそひ座になほれば。
 おいししとやかに出で迎ひ。「これは\/。お二方ともようぞや御出で。とくよりお目にもかかるはず。お聞き及びの今の身の上。お尋ねにあづかりお恥づかしい」。「あの改まつたおことば。お目にかかるは今日初めなれど。先だつて御子息力彌殿に。娘小浪をいひなづけいたしたからは。お前なりわたしなり。あひやけ同志 御遠慮におよばぬこと」。「これは\/痛み入る御挨拶。ことに御用しげい本藏樣の奧方。寒空といひ思ひがけない御上京。戸無頼樣はともあれ 小浪御寮。さぞ都珍しからう。祇園 清水 智恩院。大佛樣御らうじたか。金閣寺拜見あらば よい傳があるぞえ」と。心おきなき挨拶に。ただ「あい\/」も口のうち。帽子まばゆき風情なり。
 戸無瀬は行儀あらためて。「今日參ること餘の儀にあらず。これなる娘小浪いひなづけいたしてのち。御主人鹽谷殿不慮の儀につき。由良之助さま。力彌殿。御在所も定かならず。移り變るは世の習ひ。變らぬは親心 とやかくと聞き合はせ。この山科にござる由うけたまはりましたゆゑ。このはうにも時分の娘 早うお渡し申したさ。ちかごろ押しつけがましいが。夫も參るはずなれど 出仕にひまのない身の上。この二腰は夫が魂。これを差せばすなはち 夫本藏が名代と。わたしが役の二人前。由良之助樣にも御意得まし。祝言させて落ちつきたい。幸ひ今日は日柄もよし。御用意なされ下さりませ」とあひ述ぶる。「これは思ひもよらぬ仰せ。をり惡う夫由良之助は他行。さりながら。もし宿にをりまして お目にかかり申さうならば。御親切の段 千萬かたじけなう存じまする。いひなづけいたした時は。故殿樣の御恩にあづかり。お知行頂戴いたしまかりあるゆゑ。本藏樣の娘御をもらひませう。しからばくれうと。言約束は申したれども。ただいまは浪人。人使ひとてもござらぬ内へ。いかに約束なればとて。大身な加古川殿の御息女。世話に申す提燈に釣鐘。釣り合はぬは不縁のもと。ハテ結納を遺はしたと申すではなし。どれへなりと外々へ。御遠慮なう遺はされませと 申さるるでござりませう」と。聞いてはつとは思ひながら。「アノまあおいし樣のおつしやること。いかに卑下なされうとて。本藏と由良之助樣。身上が釣り合はぬとな。そんならば申しませう。手前の主人は小身ゆゑ。家老を勤める本藏は五百石。鹽谷殿は大名。御家老の由良之助樣は千五百石。すりや本藏が知行とは。千石ちがふを合點で いひなづけはなされぬか。ただいまは御浪人。本藏が知行とは 皆ちがうてから五百石」。「イヤそのおことばちがひまする。五百石はさておき。一萬石ちがうても。心と心が釣り合へば。大身の娘でも 嫁に取るまいものでもない」。「ムムこりや聞きどころ おいし樣。心と心が釣り合はぬとおつしやるは。どの心ぢや サア聞かう」。「主人鹽谷判官樣の御生害。御短慮とはいひながら。正直をもととするお心よりおこりしこと。それに引きかへ 師直に金銀をもつてこびへつらふ。追從武士の祿を取る本藏殿と。二君に仕へぬ由良之助が大事の子に。釣り合はぬ女房は持たされぬ」と。聞きもあへず膝立てなほし。「へつらひ武士とは誰がこと。樣子によつては聞き捨てられぬ そこを許すが娘の可愛さ。夫に負けるは女房の常。祝言あらうがあるまいが。いひなづけあるからは 天下晴れての力彌が女房」。「ムムおもしろい。女房ならば夫が去る。力彌に代つてこの母が去つた。\/」といひ放し。心へだての唐紙を はたと。引き立て入りにける。
 娘はわつと泣き出だし。「せつかく思ひ思はれて いひなづけした力彌樣に。逢はせてやろとのおことばを 頼りに思うて來たものを。姑御の胴欲に。去られる覺えはわたしやない。母樣どうぞ詫言して。祝言させて下さりませ」と縋り。嘆けば母親は。娘の顏をつく\/と。打ちながめ\/。「親の欲目か知らねども。ほんにそなたの器量なら。十人竝みにもまさつた娘。よい婿をがなと詮議して いひなづけした力彌殿。尋ねて來た甲斐もなう。婿に知らさず去つたとは。義理にもいはれぬおいし殿。姑去りは心得ぬ。ムム\/さては浪人の身の寄るべなう 筋目をいひたて。有徳な町人の婿になつて。義理も。法も忘れたな。ナウ小浪。今いふとほりの男の性根。去つたといふを面當て ほしがるところは山々。ほかへ嫁入りする氣はないか。コレ大事のところ 泣かずともしつかりと返事しや。コレどうぢや\/」と。尋ぬる親の氣は張り弓。「アノ母樣の胴欲なことおつしやります。國を出るをり 父樣のおつしやつたは。浪人しても大星力彌。行儀といひ器量といひ。仕合せな婿を取つた。貞女兩夫にまみえず。サハリたとへ夫に別れても またの夫をまうけなよ。ぬしある女の不義同然。かならず\/寢覺めにも 殿御大事を忘るるな。由良之助夫婦の衆へ孝行盡し 夫婦仲。むつまじいとてあじやらにも。悋氣ばしして 去らるるな。案ぜうかとて隱さずと 懷妊になつたらさつそくに。知らせてくれとおつしやつたを わたしやよう覺えてゐる。去られて去んで父樣に苦に苦をかけてどういうて どういひわけがあらうとも。力彌樣よりほかに餘の殿御。わしやいや\/」と一筋に 戀を立てぬく心根を。
 聞くにたへかね母親の。涙一途に突きつめし。覺悟の刀拔き放せば。「母樣これは何事」と押し留められて顏を上げ。「何事とは曲がない。今もそなたがいふとほり 一時も早う祝言させ。初孫の顏見たいと。娘に甘いは てての習ひ。よろこんでござるなかへ まだ祝言もせぬ先に。去られて戻りましたとて どう連れて去なれうぞ。というて先に合點せにや 仕樣。模樣もないわいの。ことにそなたは先妻の子。わしとはなさぬ仲ぢやゆゑ およそにしたかと思はれては。どうも生きてはゐられぬ義理。このとほりを死んだ跡で ててごへいひわけしてたもや」。「アノもつたいないことおつしやります。殿御に嫌はれ わたしこそ死すべきはず。生きてお世話になる上に 苦を見せまする不孝者。母樣の手に掛けて わたしを殺して下さりませ。去られても殿御の内 ここで死ぬれば本望ぢや。早う殺して下さりませ」。「オツオよう言やつた でかしやつた。そなたばかり殺しはせぬ。この母も三途の供。そなたをおれが手に掛けて。母も追つつけ跡から行く。覺悟はよいか」と立派にも 涙。とどめて立ちかかり。「コレ小浪。アレあれを聞きや。表に虚無僧の尺八。つるの巣ごもり」。鳥類でさへ子を思ふに 科もない子を手に掛けるは。因果と因果の寄り合ひと。思へば足も立ちかねて。ふるふ拳をやう\/に。振り上ぐる刃の下。尋常に座をしめ手を合はせ。「南無阿彌陀佛」と。唱ふるうちより「御無用」と聲かけられて 思はずも。たるみし拳 尺八もともに。ひつそと靜まりしが。「オオさうぢや。今御無用と留めたは。虚無僧の尺八よな。助けたいが山々で。無用といふに氣おくれし。未練なと笑はれな。娘覺悟はよいかや」とまた振り上ぐる また吹き出す。とたんの拍子にまた「御無用」。「ムムまた御無用と留めたは。修行者の手のうちか。振り上げた手のうちか」。「イヤお刀の手のうち御無用。悴力彌に祝言させう」。「エエさういふ聲はおいし樣。そりや眞實かまことか」と 尋ぬる襖の内よりも。(謠)逢ひに相生の。松こそめでたかりけれ と。祝儀の小謠 白木の小四方。目八分にたづさへ出で。「義理ある仲のひとり娘。殺さうとまで思ひ詰めた 戸無瀬樣の心底。小浪殿の貞女。こころざしがいとほしさ させにくい祝言さす。そのかはり。世の常ならぬ嫁の杯。受け取るはこの三方。御用意あらば」とさし置けば。
 すこしは心やすまつて 拔いたる刀鞘に納め。「世の常ならぬ杯とは。引出物の御所望ならん。この二腰は夫が重代。刀は正宗。差添へは浪の平行安。家にも身にも代へぬ重寶。これを引出」とみなまでいはさず。「浪人とあなどつて。價の高い二腰。まさかの時に賣り拂へと。いはぬばかりの婿引出。御所望申すはこれではない」。「ムムそんなら何が御所望ぞ」。「この三方へは加古川本藏殿の。お首を乘せてもらひたい」。「エエそりやまたなぜな」。「御主人鹽谷判官樣。高師直にお恨みあつて。鎌倉殿で一刀に切りかけたまふ。その時こなたの夫加古川本藏。その座にあつて抱き留め。殿をささへたばつかりに 御本望も遂げられず。敵はやう\/薄手ばかり。殿はやみやみ御切腹。口へこそ出したまはね。その時の御無念は。本藏殿に憎しみがかかるまいか。あるまいか。家來の身としてその加古川が娘。安閑と女房に持つやうな力彌ぢやと。思うての祝言ならば。この三方へ本藏殿の白髮首。いやとあればどなたでも。首を竝べる尉と嫗。それ見たうへで杯させう。サササアいやか。おうかの返答を」と。鋭きことばの理屈詰め。親子ははつとさしうつむき途方に。くれし折からに。「加古川本藏が首進上申す。お受け取りなされよ」と。表にひかへし虚無僧の。笠脱ぎ捨ててしづ\/と内へはひるは。「ヤアお前は父樣」。「本藏樣。ここへはどうしてこの形は。合點がいかぬ こりやどうぢや」ととがむる女房。「ヤアざわざわと見苦しい。始終の子細皆聞いた。そちたちに知らさず ここへ來た樣子は追つて。先づだまれ。そこもとが由良之助殿御内證おいし殿よな。今日の仕儀かくあらんと思ひ。妻子にも知らせず。樣子をうかがふ加古川本藏。案にたがはず拙者が首。婿引出に欲しいとな。ハハハハハ。いやはやそりや侍のいふこと。主人の仇を報はんといふ所存もなく。遊興にふけり 大酒に性根を亂し。放埒なる身もち 日本一の阿呆の鑑。蛙の子は蛙になる。親に劣らぬ力彌めが大だはけ。うろたへ武士のなまくら刃金。この本藏が首は切れぬ。馬鹿盡すな」と踏み碎く。「破れ三方のふちはなれ。こつちから婿に取らぬ ちよこざいな女め」といはせも果てず。「ヤア過言なぞ本藏殿。浪人の錆刀 切れるか切れぬか鹽梅見せう。不肖ながら由良之助が女房。望む相手ぢや サア勝負\/\/」と裾引き上げ。長押にかけたる槍押つ取り。突つかからんずその氣色。「これは短氣な マア待つて」と留めへだつる女房娘。「邪魔ひろぐな」と荒けなく。右と左へ引きのくる。間もあらせず突つかくる。槍のしほ首ひつつかみ。もぢつて拂へば身をそむけ。諸足縫はんとひらめかす。刃棟を蹴つて蹴上ぐれば。拳はなれて取り落す。槍奪はれじと走り寄り 腰際帶際引つつかみ。どうど打ちつけ動かせず 膝にひつ敷く強氣の本藏。敷かれておいしが無念の齒がみ。親子ははあ\/危ぶむ中へ。
 驅け出づる九星力彌。捨てたる槍を取る手も見せず本藏が。馬手の肋弓手へとほれと突きとほす。うんとばかりにかつぱと伏す。「コハ情けなや」と母娘 取りつき。嘆くに目もかけず。止め刺さんと取りなほす。「ヤア待て力彌 早まるな」と。槍引きとめて由良之助 手負ひに向ひ。「一別以來珍しし本藏殿。御計略の念願とどき。婿力彌が手に掛かつて。さぞ本望でござらうの」と。星を指いたる九星が。ことばに本藏目を見開き。「主人の鬱憤を晴らさんと このほどの心づかひ。遊所の出合ひに氣をゆるませ。徒黨の人數はそろひつらん。思へば貴殿の身の上は。本藏が身にあるべきはず。當春鶴岡造營のみぎり。主人桃井若狹之助。高師直に恥ぢしめられ。もつてのほか憤り。それがしをひそかに召され 眞かう\/の物語り。明日御殿にて出つくはせ。一刀に討ち止むると 思ひつめたる御顏色。止めても止まらぬ若氣の短慮。小身ゆゑに師直に。賄賂うすきを根に持つて。恥ぢしめたると知つたるゆゑ 主人に知らせず。不相應の金銀衣服臺の物。師直へ持參して。心に染まぬへつらひも 主人を大事と存ずるから。賄賂おほせあつちから謝つて出たゆゑに。斬るに斬られぬ拍子拔け。主人が恨みもさらりと晴れ。相手代つて鹽谷殿の。難儀となつたは すなはちその日。相手死なずば切腹にも及ぶまじと。抱き留めたは 思ひ過した本藏が。一生の誤りは 娘が難儀としらがのこの首。婿殿に。進ぜたさ。女房娘を先へのぼし。こびへつらひしを身の科に お暇を願うてな。道を變へて そちたちより二日前に京着。若い折の遊藝が 役に立つた四日のうち。こなたの所存を見拔いた本藏。手にかかれば恨みを晴れ。約束のとほりこの娘。力彌に添はせて下さらば 未來永劫御恩は忘れぬ。コレ手を合はして頼み入る。忠義にならでは捨てぬ命。子ゆゑに捨つる親心 推量あれ由良殿」といふも涙にむせ返れば。妻や娘はあるにもあられず。「ほんにかうとは露知らず 死におくれたばつかりに。お命捨つるはあんまりな。冥加のほどが恐ろしい。許して下され父上」とかつぱと伏して。泣き叫ぶ。親子が心思ひやり。大星親子三人も。ともにしをれてゐたりしが。
 「ヤア\/本藏殿。君子はその罪を憎んでその人を憎まずといへば。縁は縁恨みは恨みと。格別の沙汰もあるべきにと さぞ恨みに思はれん。が所詮この世を去る人。底意を明けて見せ申さん」と。未然を察して 奧庭の障子さらりと引き明くれば。雪をつかねて石塔の 五輪の形を二つまで。造り立てしは九星が。成り行く果てをあらはせり。
 戸無瀬は賢しく。「ムム御主人の仇を討つてのち。二君に仕へず消ゆるといふ お心のあの雪。力彌殿もその心で 娘を去つたの胴欲は。御ふびんあまつておいし樣。恨みたがわしや悲しい」。「戸無頼樣のおつしやること。玉椿の八千代までとも祝はれず。後家になる嫁取つた。このやうなめでたい悲しい。事はない かういふ事が嫌さに。むごう辛ういうたのが。さぞ憎かつたでござんしよなう」。「イイエイナ。わたしこそ腹立つまま。町人の婿になつて 義理も法も忘れたかというたのが。恥づかしいやら悲しいやら どうも顏が上げられぬ おいし樣」。「戸無頼樣。氏も器量もすぐれた子 なんとしてこのやうに。果報つたない生れや」と聲も。涙にせき上ぐる。
 本藏あつき涙を押へ。「ハツアアうれしや本望や。呉王を諌めて誅せられ。はづかしめを笑ひし 伍子胥が忠義は取るに足らず。忠臣の鑑とは唐土の豫讓。日本の大星。むかしより今に至るまで。唐と日本にたつた二人。その一人を親に持つ。力彌が妻になつたるは。女御更衣にそなはるより。百倍まさつてそちが身は 武士の娘の手柄者。手柄な娘が婿殿へ。お引きの目録進上」と 懷中より取り出すを。力彌取つて押しいただき 開き見ればコハいかに。目録ならぬ 師直が屋敷の案内 いちいちに。玄關 長屋 侍部屋。水門物置 柴部屋まで 繪圖にくはしく書きつけたり。由良之助はつと押しいただき。「ヘツエありがたし\/。徒黨の人數はそろへども。敵地の案内知れざるゆゑ 發足も延引せり。この繪圖こそは孫呉が祕書。わがための六韜三略。かねて夜討ちと定めたれば。繼ぎ梯子にて塀を越し 忍び入るには縁側の。雨戸はづせばすぐに居間。ここを仕切つてかう攻めて」と親子がよろこび。
 手負ひながらもぬからぬ本藏。「イヤ\/それは僻言ならん。用心きびしき高師直。障子襖は皆尻差し。雨戸に合栓 合樞。こぢてははづれず 掛矢にて。毀たば音して用意せんか それいかが」。「オオそれにこそ手立てあれ。凝つては思案にあたはずと 遊所よりの歸るさ。思ひよつたる前栽の雪持つ竹。雨戸をはづすわが工夫。仕樣をここにて見せ申さん」と庭に。おりしも雪深く さしもに強き大竹も 雪の重さに。ひいわりとしわりし竹を。引き回して鴨居にはめ。「雪にたわむは弓同然。このごとく弓をこしらへ弦を張り。鴨居と敷居にはめおきて。一度に切つて放つ時は。まつこのやうに」と積つたる 枝打ち拂へば雪散つて。伸びるは直ぐなる竹の力。鴨居たわんで溝はづれ。障子殘らずばた\/\/。本藏苦しさうち忘れ「ハハアしたり\/。計略といひ義心といひ。かほどの家來を持ちながら 了簡もあるべきに。淺きたくみの鹽谷殿。口惜しき振舞ひや」と。悔を聞くに 御主人の御短慮なる御しわざ。今の忠義を戰場の お馬先にて盡さばと。思へば無念に閉ぢふさがる。胸は七重の門の戸を 漏るるは。涙ばかりなり。
 力彌はしづ\/下り立つて 父が前に手をつかへ。「本藏殿の寸志により。敵地の案内知れたるうへは。泉州堺の天河屋義平方へも通達し。荷物の工面つかまつらん」と開きもあへず「何さ\/。山科にあること隱れなき由良之助。人數集めは人目あり。ひとまづ堺へ下つて後 あれから直ぐに發足せん。そのはうは母嫁戸無頼殿もろともに。跡のかたづき諸事萬事なにもかも。心殘りのなきやうに。ナ。ナ。コリヤ。明日の夜舟に下るべし。われは幸ひ本藏殿の 忍び姿をわが姿」と。袈裟うち掛けて編笠に。恩をいただく報謝返し未來の迷ひ晴らさんため。「今宵一夜は嫁御寮へ。舅が情けの戀慕流し」。歌口濕して立ち出づれば。かねて覺悟のおいしが嘆き。「御本望を」とばかりにて 名殘り惜しさの山々を いはぬ心のいぢらしさ。
 手負ひは今を知死期時。「父樣申し父樣」と呼べど。答へぬ斷末魔。親子の縁も玉の緒も 切れて一世の。うき別れ わつと泣く母泣く娘。ともに死骸に向ひ 地の。回向念佛は戀無情。出で行く足も立ち留り。六字の御名を笛の音に。「南無阿彌陀佛。南無阿彌陀」これや尺八項惱の 枕竝ぶる追善供養。閏の契りはひとよぎり 心。殘して(三重)⌒\立ち出づる


  第十 發足の櫛笄(天河屋)

 津の國と 和泉河内を引き受けて。よその國まで船寄せる 三國一の大湊。堺というて人の氣も 賢しき町に疵もなき。天河屋の義平とて 金から金を儲け溜め。見かけは輕く 内證は重い暮しに重荷をば。手づから店でしめくくり 大船の船頭。「これで丁度七棹。受け取りました」と指し荷ひ。行くもたそかれ亭主はほつと。「日和もよし よい出船」と。いひつつたばこ煙管筒。吸ひつけにこそ入りにけれ。
 家の世繼ぎは今年四つ 守は十大の丸額。親方よりもわが遊び。「サアはじまりぢや\/。おもしろいこと\/。泣き辨慶の信田妻。とうざい\/。(文彌)ここに哀れを。とどめしは。このよし松にとどめたり。もとよりその身は父ばかり。母は去られて。去なれたで。泣き辨慶と申すなり」。「コリヤ伊五よ。もう人形まはしいや\/。かかさんを呼んでくれいやい」。「ソレそのやうに無理いはしやると。旦那さんにいうて こなはんも追ひ出さすぞ。あとの月からお釜が割れて。手代は手代で 鼠の子かなんぞのやうに。目が明かぬというて追ひ出し。飯炊きは大きなあくびしたというて暇やり。今ではこなはんと。わしと旦那はんとばつかり。どうでこの内を拔けそけするのかして。ちよこ\/船へ荷物が行く。驅落ちするなら 人形箱持つて行かうぞや」。「イヤ人形まはしより おりやもう寢たい」。「アレもうおれまでをそそのかすほどにの。よござるわ おれが抱いて寢てやろ」。「いやぢや」。「なぜに」。「われには乳がないもの おりやいやぢや」。「アレまた無理いはしやる。こなたがをなごの子なら。乳よりよい物があるけれど。何をいうても相婿同士」。これも涙の種ぞかし。
 折ふし表へ侍二人「たそ頼まう 義平殿はお宿にか」と。いふもひそめく内からつこど。「旦那樣は内に。われら。(サハリ)人形まはしで忙しい。 用があらばはひつた\/」。「イヤ案内いたさぬも無禮。原郷右衞門 大星力彌。ひそかに御意得たいと 申しておくりやれ」。「なんぢや 腹へり右衞門。大食喰ひや。こりやたまらぬ。アレ旦那さん 大きなけないどが見えました」と。叫ぶよし松引き連れて 奧へ入れば。
 亭主義平。「また阿呆めがしやなり聲」と。いひつつ出でて。「エ郷右衞門樣 力彌樣。サアまあこれへ」。「御免あれ」と座を占めて郷右衞門。「だん\/貴公のお世話ゆゑ 萬事あひ調ひ。由良之助もお禮に參るはずなれども。鎌倉へ出立も今明日。なにかと取り込み 悴力彌を名代として 失禮のお斷り」。「これは\/御念の入つた儀。急に御發足とござりますれば。なにかお取り込みでござりませうに」。「なるほど 郷右衞門殿の仰せのとほり。明早々出立の取り込み。自由ながらわたくしに參りお禮も申し。またお頼み申した後荷物も。いよ\/今晩で積み仕舞ひか。お尋ね申せと申し渡しましてござります」。「なるほど お銚へのかの道具一まき。だん\/大回しで遣はし。小手 臑當 小道具の類は。長持に仕込み 以上七棹。今晩出船を幸ひ 船頭へ渡し。殘るは忍び提燈 鎖鉢卷。これは陸荷で後より遣はすつもりでござります」。「郷右衞門樣お聞きなされましたか。いかいお世話でござりまする」。「いかさま主人鹽谷公の 御恩を受けた町人も多ござれども。天河屋の義平は。武士もおよばぬ男氣な者と。由良殿が見込み 大事をお頼み申されたももつとも。しかし槍 薙刀は格別。鎖帷子の繼ぎ梯子のと申す物は 常ならぬ道具。お買ひなさるるに 不思議は立ちませなんだかな」。「イヤその儀は細工人へ手前の所は申さず。手づけを渡し 金と引き替へにつかまつるゆゑ。いづくの誰と先樣には存じませぬ」。「なるほどもつとも。ついでに力彌めもお尋ね申しましよ。内へ道具を取り込み荷物のこしらへ 御家來中の見る目は どうしてお忍びなされましたな」。「ホウそれも御もつとものお尋ね。この儀を頼まれますると。女房は親里へ歸し。召使ひはたりひづみをつけて。だん\/に暇遣はし。殘るは阿呆と四つになる悴。洩れる筋はござりませぬ」。「さて\/驚き入りましてござりまする。その旨を親どもへも申し聞かして 安堵させませう。郷右衞門殿 お立ちなされませぬか」。「いかさま出立に心せきまする。義平殿お暇申しませう」。「しからば由良之助樣へも」。「よろしう申し聞かしませう。おさらば」。「さらば」と引き別れ二人は旅宿へ立ち歸る。
 表閉めんとするところへ この家の舅太田了竹「おつと閉めまい 宿にか」と。ずつと通つてきよろ\/まなこ。「これは親仁樣 ようこそお出で。さてこの間は女房園を 養生がてら遣はしおき。さぞお世話 お藥でもたべまするかな」。「アア藥も飮みまする。食もくひます」。「それは重疊」。「イヤ重疊でござらぬ。手前も國元にゐた時は。斧九太夫殿から扶持ももらひ 相應の身代。今は一僕さへ召し使はぬ所へ。さしてもない病氣を 養生さしてくれよとさし越されたは。子細こそあらん。ガそれはともあれ。なま若い女不埒があつては貴殿も立たず。身どもも皺腹でも切らねばならぬ。ところで一つの相談。先づ世間は暇やり分。暇の状をおこしておいて。ハテなん時でもここの勝手に。呼び戻すまでのこと。たつた一筆つい書いて下され」と。輕ういふのもものだくみ。一物ありと知りながら。嫌といはば女房をすぐに戻さん 戻りては。頼まれた人人へことばも立たずと とつつおいつ思案するほど。「いやかどうぢや 不得心ならこのはうにも。片時おかれず 戻すからはこの了竹もにじりこみ。へたばつてともに厄介 否か應かの返答」と。込みつけられてさすがの義平。たくみに乘るが口惜しやと。思へどこちらの一大事 見出だされてはとかけ硯。取つて引き寄せさら\/と。書き認め。「これやるからは了竹殿 親でなし子でなし。かさねて足踏みおしやんな。底たくみある暇の状。弱身をくうてやるが殘念。持つて行きやれ」と投げつくれば。手早く取つて懷中し。「オオよい推量。聞けばこのあひだより 浪人どもが入り込みひそめくより。園めに問へども知らぬとぬかす。なに仕出さうも知れぬ婿。娘を添はしておくが氣づかひ。幸ひさる歴々からもらひかけられ。去り状取ると すぐに嫁入りさする相談。一杯まゐつて重疊\/」。「ホウたとへ去り状なきとても 子までなしたる夫を捨て。ほかへ嫁する性根なら 心は殘らぬ勝手\/」。「オオ勝手にするは親のかうけ。今宵のうちに嫁らする」。「ヤアこまごと吐かずとはや歸れ」と。肩先つかんで門口より。そとへ蹴出してあとぴつしやり。はふ\/起きて「コリヤ義平。なんぼつかんで放り出しても。嫁らす先から仕拵へ金。あたたまつて蹴られたりや。どうやら疝氣が直つた」と。口は達者に足腰を なでつ。さすりつ逃げ吠えに。(ヲクリ)つぶやき。\/立ち歸る。
 月の曇りに影隱す 隣家も寢入る亥の刻過ぎ。この家を目がけて捕手の人數 十手 早繩 腰提燈。火影を隱してうかがひ\/ 犬とおぼしき家來をまねき。耳打ちすればさし心得 門の戸忙しく打ちたたく。「誰ぢや。\/」もおよび腰。「イヤ宵に來た大船の船頭でござる。船賃の算用がちがうた。ちよつと明けて下され」。「ハテ仰山な。わづかなことであろ 明日來た\/」。「イヤ今夜うける船。仕切つてもらはにや出されませぬ」と。いふも聲高 近所の聞えと。義平は立ち出で 何心なく門の戸を。明くるとそのまま「捕つた\/。動くな 上意」とおつ取り卷く。「コハなにゆゑ」と四方八方。まなこを配れば捕手の兩人。「ヤアなにゆゑとは横道者。おのれ鹽谷判官が家來大星由良之助に頼まれ。武具馬具を買ひ調へ大回しにて鎌倉へ遣はす條。急ぎ召し捕り拷問せよとの御上意。のがれぬところぢや 腕回せ」。「これは思ひもよらぬおとがめ。左樣の覺えいささかなし。定めてそれは人たがへ」といはせも立てず「ヤアぬかすまい。爭はれぬ證據あり。ソレ家來ども」。はつと心得持ち來るは。宵に積んだる茣蓙荷の長持。見るより義平は心も空。「ソレ動かすな」と四方の十手。そのまに荷物を切りほどき。長持開けんとするところを。飛びかかつて下僕を蹴退け。蓋の上にどつかと坐り。「ヤア粗忽千萬。この長持の内に入れおいたは。さる大名の奧方より。お誂へのお手道具。お具足櫃の笑ひ本。笑ひ道具の注文まで その名を記しおいたれば。開けさしては歴々のお家のお名の出ること。御覽あつてはいづれものお身の上にもかかりませうぞ」。「ヤアいよ\/胡亂者。なか\/大抵では白状いたすまい。それ申し合せたとほり」。「合點でござる」と一間へ驅け入り。一子よし松を引つ立て出で。「サア義平。長持の内はともあれ。鹽谷浪人一黨にかたまり。師直を討つ密事の段々。おのれよく知つつらん。ありやうにいへばよし。いはぬとたちまち悴が身の上。コリヤこれを見よ」と拔き刀。幼き咽にさしつけられ。はつとは思へど色も變ぜず。「ハハハハハ女わらべを責めるやうに。人質取つての御詮議。天河屋の義平は男でござるぞ。子にほだされ 存ぜぬことを。存じたとはえ申さぬ。かつてなんにも存ぜぬ。知らぬ。知らぬといふから金輪奈落。憎しと思はばその悴。わが見る前で殺した\/」。「テモ土性骨の太いやつ。管槍 鐵砲 鎖帷子。四十六本の印まで 調へやつたるおのれが。知らぬというていはしておかうか。白状せぬと一寸だめし。一分刻みに刻むがなんと」。「オオおもしろい 刻まれう。武具はもちろん。公家 武家の冠 烏帽子。下女小者が藁沓まで。買ひ調へて賣るが商人。それ不思議とて御詮議あらば。日本に人種はあるまい。一寸だめしも三寸繩も。商賣ゆゑに取らるる命。惜しいと思はぬサア殺せ。悴も目の前突け\/\/。一寸だめしは腕から切るか 胸から裂くか。肩骨背骨も望み次第」と。さしつけ突きつけわが子をもぎ取り。「子にほだされぬ性根を見よ」と。絞め殺すべきその吃相。「ヤレ聊爾せまい 義平殿。しばし\/」と長持より。大星由良之助良金。立ち出づるてい見てびつくり。捕手の人々一時に。十手 取繩うち捨てて はるか。下つて座をしむる。
 威儀を正して由良之助 義平に向ひ手をつかへ。「さて\/驚き入つたる御心底。泥中の蓮。砂の中の黄金とは 貴公の御事。さもあらんさもさうずと。見込んで頼んだ一大事。この由良之助は微塵いささか。お疑ひ申さねども。馴染近づきでなきこの人々。四十人餘の中にも。天河屋の義平は生れながらの町人。今にも捕へられ 詮議にあはば。いかがあらん。何とかいはん。ことに寵愛の一子もあれば。子に迷ふは親心と評議まち\/。案じに胸も休まらず。所詮一心の定めしところを見せ。古朋輩の者どもへ安堵させんため。せまじきこととは存じながら 右の仕合せ。粗忽の段はまつぴら\/。花は櫻木。人は武士と申せども。いつかな\/ 武士もおよばぬ御所存。百萬騎の強敵は防ぐとも。さほどに性根は据わらぬもの。貴公の一心を借り受け われ\/が手本とし。敵師直を討つならば たとへ。巖石の中にこもり。鐵洞の内に隱るるとも やはか仕損じ申すべき。人ある中にも人なしと申せども。町家の内にもあればあるもの。一味徒黨の者どものためには。産土とも。氏神とも尊みたてまつらずんば。御恩の冥加に盡き果てませう。靜謐の代には賢者もあらはれず。ヘエエ惜しいかな。悔しいかな。亡君御存生のをりならば。一方の旗大將。一國の政道。おあづけ申したとて惜しからぬ御器量。これに竝ぶ大鷲文吾。矢間十太郎をはじめ。小寺 高松 堀尾 板倉 片山等。つぶれしまなこを開かする。妙藥名醫の心魂。ありがたし\/」とすさつて三拜 人々も。無骨の段まつぴらと 疊に。頭をすりつくる。「ヤレそれは御迷惑。お手上げられて下さりませ。惣體人と馬には。乘つて見よ添うて見よと申せば。おなじみない御方々は 氣づかひに思し召すももつとも。私もとは輕い者。お國の御用うけたまはつてより。經上つたこの身代。判官樣の樣子うけたまはつてともに無念。何とぞこの恥辱すすぎやうはないかと。力んで見ても石龜の地團太。およばぬことと存じたところへ。由良之助樣のお頼み。こそ心得たと向ふ見ず。ともにお力つけるばかり。情けないは町人の身の上。手一合でも御扶持を いただきましたらば。このたびのおぼし立ち。袖褄に取りついてなりともお供申し。いづれも樣へ息つぎの。茶水でも汲みませうに。それもかなはぬは。よく\/町人はあさましいもの。これを思へばお主の御恩。刀の威光はありがたいもの。それゆゑにこそお命捨てらるる。御うらやましう存じまする。なほも冥途で御奉公。おついでに義平めが。こころざしもおとりなし」と あつきことばに人々も。思はず涙もよほして 奧齒。噛み割るばかりなり。
 由良之助取りあへず。「今晩鎌倉へ出立。本望遂ぐるも百日とは過すまじ。うけたまはれば。御内證まではぶきたまふ由 重々のおこころざし。追つつけそれも呼び返させ申さん。御不自由も今しばらく。はやお暇」と立ち上がる。
 「ヤレ申さばめでたき旅立ち。いづれも樣へも御酒一つ」。「いやそれは」。「ハテさて祝うて手打ちの蕎麥切り」。「ヤ手打ちとは吉相。しからば大鷲 矢間御兩人は後に殘り。先手組の人々は。郷右衞門 力彌を誘ひ。佐田の森までお先へ」。「いざこなたへ」と亭主が案内。「お辭儀は無禮」と由良之助(ヲクリ)二人を。⌒\伴ひ入る月と。
 また出る月と。二つ輪の親と夫との中に立つ。お園は一人小提燈暗き思ひも。子ゆゑの闇。あやなき門を打ちたたき。「伊五よ\/」と呼ぶ聲が。寢耳にふつと阿呆は驅け出で。「おれ呼んだは誰ぢや。化生の者か。迷ひの者か」。「イヤ園ぢや ここ開けてくれ」。「さういうても氣味が惡い。かならずばあといふまいぞ」と。いひつつ門の戸押し開き。「エエお家さんか ようごんしたの。一人歩きをすると。ナ病犬が噛むぞえ」。「オオ犬になりとも噛まれて死んだら。今の思ひはあるまいに。俺や去られたわいやい」。「鈍なことにならんしたなア」。「旦那殿は寢てか」。「イイエ」。「留守か」。「イイエ」。「なんの事ぢやぞやい」。「なんの事やらわしも知らぬが。宵の口に 猫が鼠を取つたかして。とつた\/と大勢來たが。ちやつとおれは蒲團かぶつたれば つい寢入つた。今その和郎たちと。奧で酒盛りざざんざやつてでござんす」。「ハテ合點のいかぬ さうして坊は寢たか」。「アイこれはよう寢てでござんす」。「旦那殿と寢たか」。「イイエ」。「われと寢たか」。「イイエ。つい一人ころりと」。「なぜ伽して寢さしてくれぬ」。「それでもわしにも旦那樣にも。乳がないというて泣いてばつかり」。「ヘエエ可哀や さうであろ\/。そればつかりがほんの事」と わつと泣き出す門の口。空に知られぬ雨の足 乾く。袂もなかりける。「ヤイ\/伊五め どこにをる」と。呼び立て出づる主人の義平。「アイ\/ここに」と驅け入るあと。尻目にかけて「たはけめが。奧へ行て給仕ひろげ」と。叱り追ひやり門の戸を。さすを押へて。「コレ旦那殿。いふことがある ここ開けて」。「イヤ聞くこともなしいふことも。ないしよう一つの畜生め。けがらはしい そこ退かう」。「イヤ親と一所でない證據。それ見て疑ひ晴れてたべ」と。戸のすきよりも投げ込む一通。拾ひ取る間につけこむ女房。夫は書き物一目見て。「コリヤ最前やつた暇の状。これ戻してどうするのぢや」。「どうするとは聞えませぬ。親了竹の惡だくみは。常からよう知つてのこと。たとへどのよな事ありとて。なぜ暇状をくだんした。持つて戻ると嫁らすと 思ひもよらぬこしらへ。うれしい顏で油斷させ 鼻紙袋の去り状を。盜んでわしは逃げてきました。お前はよし松可愛ないか。去つてあの子をまま母に。かける氣かいの 胴欲な」と。縋り嘆けば。「ヤアその恨みは逆ねぢ。この内を去なすをり。いひふくめたをなんと聞いた。樣子あつてそのはうに暇やるでなし。しばしのうち親里へ歸つてゐよ。舅了竹は。もと九太夫が扶持人。心解けねば子細はいはぬ。病氣のていにもてなし。起き伏しも自由にすな。櫛も取るなといひつけやつたを なぜ忘れた。さんばら髮でゐる者を。嫁に取ろとはいはぬはやい。なんのおのれがよし松が可愛かろ。晝は一日阿呆めが。だましすかせど夜になると。かか樣\/と尋ねをる。かかはおつつけ。もうここへと。だまして寢させどよう寢入らず。叱つて寢さそとたたきつけ。こはい顏すりや聲あげず。しく\/泣いてをるを見ては。身節が碎けて堪へらるるものぢやない。これを思へば親の恩。子を持つて知るといふ。不孝の罰とわが身をば。悔んで夜ととも泣き明かす。夕べも三度抱き上げて。もう連れて行こ。抱いて行こと。門口まで出たれども。一夜で堪能するでもなし。五十日暇取ろやら。百日隔てておかうやら。知れぬことに馴染ましては。後の難儀と五町 三町。ゆぶり歩いてたたきつけ。寢さしてはそつとこかし。わが肌つくればうつつにも。乳を搜してしがみつき。わづかな間の別れでさへ。戀ひこがるるもの 一生を。引き分けうとは思はねども。是非におよばず暇の状。了竹へ渡せしを。内證にて受け取つては。親の許さぬ不義の科。心よからず持つて歸れ。これまでの縁。約束事。死んだと思へば事濟む」と。切れ離れよき男氣は。常を知るほどなほ悲しく。「この家にゐるとお前が立たず。うちへ去ぬると嫁らにやならず。悲しい者はわたし一人。これが別れにならうも知れぬ。よし松を起してちよつと逢はして下さんせ」。「イヤそれならぬ。今逢うて今別るるその身。後の思ひがなほふびんな。わけて今宵はお客もあり。ぐど\/いはずと早くお行きやれ」。「それでもちよつとよし松に」。「ハテさて未練な。後の難儀を思はずや」と。無理に引き立て去り状も。ともに渡して門先へ 心づよくも突き出だし。「子が可愛くば了竹へ。詫言立てて春までも。かくまひもらはば思案もあらん。それかなはずばこれかぎり」と門の戸閉めて。内に入る。 「ナウそれがかなふほどなれば。この思ひはござんせぬ。つれないぞやわが夫。科もない身を去るのみか。わが子にまで逢はさぬは。あんまりむごい胴欲な。顏見るまではなんぼでも。去なぬ\/」と門うちたたき。「情けぢや。慈悲ぢや。ここ開けて。寢顏なりとも見せてたべ。コレ手を合はせ拜みます。むごいわいの」とどうと伏し前後。不覺に泣きけるが。
 「ハアア恨むまい 嘆くまい。なまなかに顏見たら。かか樣かと取りついて。離しもせまいし 離れもなるまい。今宵去ぬれば今宵の嫁入り。明日まで待たれぬわしが命。さらばでござるさらばや」と。いうては戸口へ耳を寄せ。もしやわが子が聲するか。顏でも見せてくれるかと。うかがひ聞けど音もせず。「ハアア是非もなや これまで」と 思ひ切つて驅け出す向ふへ。目ばかり出した大男 道をふさいで引つ捕へ。「これは」といふ間も情けなや すらりと拔いて島田髷。根よりふつつと切り取つて 懷までをひつさらへ。いづくともなく逃げ行きし 無法無意氣ぞ是非もなき。
 「ナウ憎や腹立ちや。何者かむごたらしう髮切つて。書いた物まで取つて去んだ。櫛笄の盜人なら。いつそ殺して\/」と泣き叫ぶ。聲に驚き義平は思はず驅け出でしが。「ハアここが男の魂の亂れ口よ」とくひしばり。ためらふうちに奧よりも。「御亭主。\/。義平殿」と立ち出づる由良之助。「だん\/御親切の御馳走。お禮は鎌倉より申し越さん。なほ後荷物の儀。早飛脚をもつてお頼み申す。夜の明けぬ内はやお暇」。「いかさま。今しばしとも申されぬ刻限。道中御健勝で。御吉左右をあひ待ちまする」。「着いたさばさつそく。書翰をもつてお知らせ申さう。かへす\/もこのたびのお世話。ことばでお禮はいひ盡されませぬ。ソレ矢間 大鷲 御亭主へ置き土産」。「はつ」と文吾 十太郎。扇を時の白臺と 乘せて出したる一つつみ。「これは貴公へ これはまた。御内寶お園殿へ。些少ながら」と差し出だす。義平はむつと顏色變り。「ことばでいはれぬ禮とあれば。イヤコレ禮物受けうと存じ。命がけのお世話は申さぬ。町人と見あなどり。小判の耳で面はるのか」。「イヤわれ\/は娑婆の暇。貴殿は殘るこの世の宿縁。御臺かほよ御前の儀も 御頼み申さんため。寸志ばかり」といひ殘し。表へ出ればなほむつと。「性根魂を見ちがへたか。踏みつけた仕方 あたいま\/し。けがらはし」とつつみし進物蹴飛ばせば。包みほどけて内よりばらり 女房驅け寄り。「コレこれはわしが櫛笄。切られた髮。ヤア\/\/この一つつみは去り状。ホイさては最前切つたのは」。「ホウこの由良之助が。大鷲文吾を裏道より回らせ。根よりふつつと切らした心は。いかな親でも尼法師を。嫁らさうともいふまいし。嫁に取る者はなほあるまい。その髮の伸びる間もおよそ百日。われ\/本望遂ぐるも百日は過さじ。討ちおほせた後めでたく祝言。その時には櫛笄。その切り髮を添へに入れ。笄髷の三國一 先づそれまでは尼の乳母。一季半季の奉公人。その肝煎りは大鷲文吾 同じく矢間十太郎。この兩人が連中へ 大事は洩れぬといふ請判。由良之助は冥途から仲人いたさん 義平殿」。「ハアア重々のおこころざし。お禮申せ女房」。「わたしがためには命の親」。「イヤお禮に及ばず。返禮と申すも九牛が一毛。義平殿にも町人ならずば。ともに出立とのお望み幸ひかな。かねて夜討ちと存ずれば。敵中へ入り込む時。貴殿の家名の天河屋を すぐに夜討ちの合言葉。天とかけなば河と答へ。四十人餘のものどもが。天よ。河よと申すなら。貴公も夜討ちにお出でも同然。義平の義の字は義臣の義の字。平はたひらか たやすく本望。はやお暇」と。立ち出づる 末世に天を山といふ。由良之助が孫呉の術。忠臣藏ともいひはやす。婆婆のことばの定めなき別れ。別れて(三重)⌒\出でて行く


  第十一 合印の忍兜(討入)

 柔よく剛を制し 弱よく強を制するとは。張良に石公が傳へし祕法なり。鹽谷判官高定の家臣。大星由良之助これを守つて。すでに一味の勇士四十餘椅 獵船に取り乘つて。苫ふか\/と稻村が崎の油斷を頼みにて。岸の岩根に漕ぎ寄せて。
 先づ一番に打ち上ぐるは。大星由良之助義金。二番目は原郷右衞門。第三番目は大星力彌。後に續いて竹森喜多八 片山源太。先手後舟だん\/に列を亂さず立ち出づる。奧山孫七 須田五郎。着たる羽織の合印。いろはにほへとと立ち竝ぶ。
 勝田 早見 遠森。音に聞えし片山源五。大鷲文吾掛矢の大槌引つさげ\/。吉田 岡崎ちりぬるをわか手は小寺 立川甚兵衞。不破 前原 深川彌次郎。得たる半弓たばさんで。上るは川瀬忠太夫 空にかがやく。大星瀬平。よたれ。そつねならむうゐの。奧村 岡野 小寺が摘子。中村 矢島 牧 平賀やまけふこえて。朝霧の立ち竝びたる蘆野や菅野。千葉に村松 村橋傳治。鹽田 赤根は薙刀構へ。中にも磯川十文字。遠松 杉野 三村の次郎。木村は用意の繼ぎ梯子。千崎彌五郎 堀井の彌惣。同じく彌九郎遊所の酒にゑひもせぬ。由良之助が智略にて 八尺ばかりの大竹に。弦をかけてぞ持つたりける。後陣は矢間十太郎。はるか後より身を卑下し。出づるは寺岡平石衞門 假名實名 袖印 その數四十六人なり。
 鎖 袴に黒羽織 忠義の胸當うちそろふ。げに忠臣の假名手本義心の手本義平が家名。「天と河との合言葉 忘るなかねてのいひ合はせ。矢間 千崎 小寺の面々。悴力彌をはじめとし 表門より入れ\/\/。郷右衞門とそれがしは。裏門より込み入つて。合圖の笛を吹くならば 時分はよしと乘り込めよ。取るべき首はただ一つ」と。由良之助に下知せられ 怒りのまなこ一時に。館をはるかににらみつけ 裏と表へ(三重)
 ⌒\別れ行く
 かくとは知らず。高武藏守師直は。由良之助が放埒に 心もゆるむ油斷酒。藝子遊女に舞ひ歌はせ。藥師寺を上客にて 身のほど知らぬ大さわぎ。果ては雜魚寢の不行儀に 前後も知らぬ寢入りばな。非常を守る番人の 拍子木のみぞ殘りけり。
 表裏一度に手筈をきはめ 矢問 千崎不敵の二人。表門に忍び寄り 内の樣子をうかがへば。夜回りとおぼしき拍子木 遠音をさせばよきをりと。例のたしなむ繼ざ梯子。高塀に打ちかけ\/ 雲居までもとささがにの 上りおほせた塀の屋根。はや拍子木の近づく音 ひらりと降りるを見つけし番人。「スハ何者」と驅け寄るを取つてひつ伏せ高手小手。よい案内と息を止め 繩先腰にひつかけて。拍子木奪ひかつちかち。役所\/を打ち回り うかがひ回るぞ不敵なる。
 はや裏門に呼子の笛。時分はよしと兩人は。拍子木合はせて「天」「河」と。貫の木はづして大門を ぐはらりと開けば力彌をはじめ。杉野 木村 三村の一黨 われも\/と込み入つて。見れば一面雨戸の固め「父が教へし雪折は。ここぞ」と下知して丸竹に 弦をかけたを雨戸の鴨居。敷居にはさんで一時に。ひいふう三つの拍子にて かけたる弦をてうど切れば。鴨居は上がり敷居は下がり 雨戸はづれてばた\/\/。「そりや 乘り込め」と天河の 聲ひびかして亂れ入る。
 「スハ夜討ちぞ」と松明提燈 裏門よりも込み入つて。一方は郷右衞門 一方は由良之助。床几にかかつて下知をなす。小勢なれども 寄せ手は今宵必死の勇者。祕術を盡せば由良之助。「餘の者に目なかけそ ただ師直を討ち取れ」と。郷右衞門もろともに八方に下知すれば。はやり男の若者ども もみ立て\/(三重)⌒\切り結ぶ。
 北隣は仁木播磨守 南隣は石堂右馬之丞。兩隣より何事かと 家の棟に武者を上げ。提燈星のごとくにて。「ヤア\/御屋敷騷動の聲 太刀音矢叫び事騷がしく。狼籍者か盜賊か。ただし非常の沙汰なるか。うけたまはりとどけよと。主人申しつけられし」と高らかに呼ばはつたり。
 由良之助取りあへず。「これは鹽谷判官が家來の者ども。主君の仇を報はんため。四十餘人の者どもが千變萬化のたたかひ。かく申すは大星由良之助 原郷右衞門。尊氏御兄弟へお恨みなし。もとより兩隣仁木 石堂殿へなんの遺恨も候はねば。卒爾いたさんやうもなし。火の用心は堅く申しつけたれば。これもつて御用心におよばぬこと。ただ穩便に捨ておかれよ。それとても隣家のこと聞き捨てならず加勢あらば。力なく一矢つかまつらん」と高聲に答へたり。兩家の人々聞きとどけ「御神妙\/。われ人主人持つたる身は もつともかくこそあるべけれ。御用あらばうけたまはらん 提燈引け」と一時に。靜まりかへつて控へける。
 一時ばかりのたたかひに 寄せ手はわづか二三人。薄手を負うたるばかりにて 敵の手負ひは數知れず。されども大將師直とおぼしき者もなきところに。足輕寺岡平石衞門。館の内を飛び回り。「部屋\/はもちろん 上は天井下は簀子。井の内まで槍を入れて探せども 師直が行方知れず。寢間とおぼしき所を見れば。夜着蒲團のあたたまり。この寒夜に冷めざるは逃げて間なしと覺えたり。表の方が氣づかはし」と驅け行くを。「ヤレ平石衞門待て\/」と。矢間十太郎垂行。師直を宙に引つ立て。「コレ\/いづれも。柴部屋に隱れしを見つけ出して生け捕りし」と。聞くより大ぜい花に露 いき\/勇んで由良之助。「ヤレでかされた手柄\/。さりながらうかつに殺すな。假にも天下の執事職。殺すにも禮儀あり」と。受け取つて上座に据ゑ。「われ\/陪臣の身として。御館へ踏ん込み 狼籍つかまつるも主君の仇を報じたさ。慮外のほど御許し下され。御尋常に御首をたまはるべし」と相述ぶれば。師直もさすがのえせ者 惡びれもせず「オオもつとも\/。覺悟はかねて サア首取れ」と。油斷さして拔討ちにはつしと切る ひつぱづして腕ねぢ上げ。「ハアアしをらしき御手向ひ。サアいづれも。日ごろの鬱憤この時」と。由良之助が初太刀にて 四十餘人が一聲々に。「浮木にあへる盲龜はこれ。三千年の優曇華の 花を見たりやうれしや」と。をどり上がり飛び上がり 形見の刀で首かき落し。よろこび勇んで舞ふもあり。「妻を捨て子に別れ 老いたる親を失ひしも。この首一つ見んためよ今日はいかなる吉日ぞ」と。首をたたいつ食ひつきつ 一同にわつとうれしなき 理 過ぎて哀れなり。
 由良之助は懷中より 亡君の位牌を出し。床の間の卓に乘せたてまつり。師直が首血潮を清め手向け申し。兜に入れし香を焚き すさつて。三拜九拜し。
 「おそれながら。亡君尊靈蓮性院見利大居士へ申し上げたてまつる。去んぬる御切腹のその折から。跡とむらへと下されし九寸五分にて。師直が首かき落し。御位牌に手向けたてまつる。草葉の陰にて御受け取り下さるべし」と涙と。ともに禮拜し。「いざ\/ 御一人づつ御曉香」。「先づ惣大將なれば御自分樣より」。「イヤ拙者より先づさきへ。矢間十太郎殿御曉香なされ」。「イヤ\/それは存じも寄らず。いづれもの手前と申し。御贔屓はかへつて迷惑」。「イヤ贔屓でござらぬ。四十人餘の衆中が師直が首取らんと。一身をなげうつ中に貴殿一人。柴部屋より見つけ出し 生捕りになされたは。よく\/主君鹽谷尊靈の。お心にかなひし矢間殿。おうらやましう存ずる。なんといづれも」。「御もつともに存じまする」。「それはなんとも」。「ハテさて刻限が延びます」。「しからば御免」と一の燒香。
 「二番目は由良殿。いざお立ち」とすすむれば。「いやまだほかに燒香のいたし人あり」。「そりや何者誰人」と。問へば大星懷中より 碁盤縞の財布取り出し。「これが忠臣二番日の燒香。早野勘平がなれの果て。その身は不義の誤りから 一味同心もかなはず。せめては石碑の連中にと。女房賣つて金調へ。その金ゆゑに舅は討たれ 金は戻され。せんかたなく腹切つてあひ果てし。その時の勘平が心 さぞ無念にあらう口惜しからう 金戻したは由良之助が一生の誤り。ふびんな最期を遂げさしたと。片時忘れず肌放さず。今宵夜討ちも財布と同道。平石衞門。そちがためには妹婿。燒香させよ」と投げやれば。「ハハハハはつ」と押しいただき\/。「草葉の陰より さぞありがたう存じましよ。冥加にあまる仕合せ」と。財布を香爐の上に着せ。「二番の燒香 早野勘平重氏」と。高らかに呼ばはりし。聲も涙にふるはすれば。列座の人も殘念の 胸も。張り裂くばかりなり。
 思ひがけなや人馬の音。山谷にひびく攻め太鼓鬨をどつとぞあげにける。
 由良之助ちつともさわがず。「さては師直が一家の武士 とりかけしと覺えたり。罪つくりになにかせん」と覺悟のところへ。桃井若狹之助遲ればせに驅けつけたまひ。「ヤア\/大星。今表門より攻めかけたは。師直が弟師安。ここで腹切つては。敵に恐れしと後代までのそしり。鹽谷殿の御菩提所光明寺へ立ち退くべし」と。仰せにはつと由良之助。「いかさま最期をとぐるとも。亡君の墓の前。仰せにしたがひ立ち退き申さん。御尻拂ひ頼み上ぐる」と。いふ間もあらせず いづくに忍びゐたりけん。藥師寺次郎 鴛坂伴内。「おのれ大星 のがさじ」と 右往左往に討つてかかる。力彌すかさず 受け流し\/。暫時がうちは討ち合ひしが。はづみをうつて討つ太刀に。袈裟にかけられ藥師寺最期。かはす二の太刀足切られ。尾にもつがれず鷺坂伴内。そのまま息は絶えにける。
 「オオ手柄\/」と稱美のことば。末世末代傳ふる義臣 これもひとへに君が代の。久しきためし竹の葉の榮えを。ここに書き殘す

竹田出雲
寛延元年辰八月十四日       作者 三好松洛
竝木千柳
右之本頒句音節墨譜等令加筆候
師若鍼弟子如縷因吾儕所傳泝先師
之源幸甚
        竹本義太夫高弟
豫以著述之原本校合一過可爲正本者
也      竹田出雲掾清定

京二條通寺町西へ入丁 正本屋山本九兵衞版
大坂高麗橋二丁目       山本九右衞門版  

安藤廣重:畫






いちばん上ひとつ上